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【歴史インサイド】忠臣蔵秘話、巨大寺院との意外な関係 「赤穂事件」吉良上野介から〝直接聴取〟…徹底調査のウラ

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【歴史インサイド】
忠臣蔵秘話、巨大寺院との意外な関係 「赤穂事件」吉良上野介から〝直接聴取〟…徹底調査のウラ

「江戸江遺書状留帳」で浅野内匠頭の行為を「乱心」と伝える一文(左頁最後から2行目あたま)=京都市下京区の西本願寺 「江戸江遺書状留帳」で浅野内匠頭の行為を「乱心」と伝える一文(左頁最後から2行目あたま)=京都市下京区の西本願寺

 これについて、内匠頭は即日切腹、改易を命じられ、大石内蔵助を筆頭とする赤穂浪士47人が翌年12月14日、江戸の吉良邸に乱入、上野介を仇討ちした。

 『留帳』の記載によると、浅野内匠頭による刃傷事件から7日後、同年3月21日付の手紙で初めて、事件に関する記述があった。

 「吉良上野介に対し浅野内匠頭、三月十四日不慮の事件があった」

 「吉良殿へのお見舞いの使者の儀、よろしく遣わせとの由、宗主が仰せ出された」

 当時の門主が見舞いの使者を送るよう述べたことが書かれており、この時点で西本願寺としては刃傷事件を「不慮の事件」と認識していたことが分かる。

上野介に〝直当たり〟

 だが、4月5日付の手紙で一変していた。

 この手紙には、事件後の上野介の体調について「吉良殿、お痛みも軽く、食事も相変わることがない由(よし)、ご注進を受けた」と記されていたのだが、同時に、こんなことが書かれていた。

 「浅野内匠頭殿の乱心の様子を承りたいが、委細の様子が上申されていない。右事件の終始、そちらでの噂の様子聞いておくように」

 何らかの情報がもたらされたのか、わずかの間に事件の受け止め方が「不慮の」から「乱心」へと変わり、しかも「事件の終始、噂の様子聞いておくように」と、些細なことでも漏らさず情報収集に努めるよう指示が出されている。

 さらに同月10日付の手紙では、西本願寺が関係者を通じて、上野介に事件の様子を直接聴いていたことが示されている。

 「吉良上野介殿、松之坊とご直談、ご口上の内容を宗主に披露を遂げた」

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