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【ドイツ兵捕虜との100年】ドイツ人としての誇りが持てた…日本での収容所生活を感謝する元ドイツ兵、交流は今も 鳴門市ドイツ館館長・森清治さん

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【ドイツ兵捕虜との100年】
ドイツ人としての誇りが持てた…日本での収容所生活を感謝する元ドイツ兵、交流は今も 鳴門市ドイツ館館長・森清治さん

前列の右端が慰霊碑の清掃活動を続けた高橋春枝さん(鳴門市ドイツ館提供) 前列の右端が慰霊碑の清掃活動を続けた高橋春枝さん(鳴門市ドイツ館提供)

 第二次世界大戦終結後、「板東俘虜(ふりょ)収容所」の兵舎は、大陸からの引き揚げ者用住宅として利用された。

 昭和22(1947)年、ここで暮らしていた高橋春枝さんは、住宅の北にある池の畔で偶然、草に埋もれた石碑を見つける。この石碑は大正8(1919)年8月、帰国を前にしたドイツ兵捕虜たちが、板東俘虜収容所敷地内に建設した、この収容所に関係する施設で亡くなった11人の同胞を弔う慰霊碑であった。

 高橋さんは慰霊碑がこの場所に建設された理由を知ると自らの大陸での体験も重なって、この碑の清掃活動を始めた。13年続いた昭和35(1960)年10月、その活動が新聞で紹介されたことをきっかけに、在日ドイツ大使が慰霊碑の存在と日本人の手で守られていることを知ることになる。

 翌11月には当時のハース駐日大使が収容所跡地を訪れ、慰霊碑に献花するとともに高橋さんに感謝の気持ちを伝えた。

 慰霊碑が今も守り続けられていることは大使の帰国後、ドイツでも報道されることになるが、これが元ドイツ兵捕虜の知るところとなる。

 昭和37年1月、大麻町(現鳴門市大麻町)役場にドイツから一通の手紙が届いた。40年前、板東俘虜収容所で生活していた元ドイツ兵E・ライポルト氏からであった。このライポルト氏から収容所の近況が知りたいとの手紙が送られてきたことが大きなきっかけとなり、再び地元住民と元ドイツ兵との交流が始まったのであった。

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