産経WEST

やはり真田幸村は「日本一の兵」だった 最期の奮戦示す徳川方武将の手紙見つかる

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新


やはり真田幸村は「日本一の兵」だった 最期の奮戦示す徳川方武将の手紙見つかる

「殿様(忠直)の馬先において真田に出会い、やりまで合わせ、その身まで討ち捕らえ、天下様(家康)へ差し上げ候」と記されていた手紙の写し(松平文庫蔵、福井県立図書館提供) 「殿様(忠直)の馬先において真田に出会い、やりまで合わせ、その身まで討ち捕らえ、天下様(家康)へ差し上げ候」と記されていた手紙の写し(松平文庫蔵、福井県立図書館提供)

 戦国武将、真田幸村(信繁)は最期まで奮戦した?-。1615年の大坂夏の陣に、徳川方として参戦した越前松平家の家臣が「自分がやりを交え、討ち捕らえた」と書いた手紙の写しが福井県立図書館で見つかった。

 幸村は豊臣方として参戦し、徳川家康を窮地に陥れた戦いぶりで「日本一の兵」と称されたが、その最期を巡っては「おとなしく首を差し出した」との説もある。

 大河ドラマ「真田丸」の時代考証に当たった国文学研究資料館(東京)の丸島和洋特定研究員は「写しではあるが、討ち取った本人の証言という点で評価できる。幸村が戦いながら死んでいったとする説を補強するものだ」と話している。

 手紙を書いたのは越前松平家で鉄砲頭を務めた西尾宗次。大坂夏の陣のころは家康の孫・松平忠直に仕えていた。夏の陣から4~7年後の元和年間、宗次が別の家臣・山上甚左衛門に送った手紙の中で「殿様(忠直)の馬先において真田に出会い、やりまで合わせ、その身まで討ち捕らえ、天下様(家康)へ差し上げ候」と記していた。

■「信憑性高い」

 手紙は、越前松平家に伝わる文書など1万点以上からなる松平文庫に含まれる「旧藩士諸家覚書之写」に収められていた。明治時代に書き写されたものとみられる。宗次の生涯を調べていた司書の長野栄俊さん(44)が今春、発見した。

続きを読む

このニュースの写真

  • やはり真田幸村は「日本一の兵」だった 最期の奮戦示す徳川方武将の手紙見つかる

「産経WEST」のランキング