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プーチン訪日に募る思い…日露戦争戦没者が眠る島から 山口県長門市青海島

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プーチン訪日に募る思い…日露戦争戦没者が眠る島から 山口県長門市青海島

並んで立つ露艦戦士の墓碑(右)と常陸丸遭難者の墓碑。日露首脳会談を前に新谷勇氏はアクセス改善を求める 並んで立つ露艦戦士の墓碑(右)と常陸丸遭難者の墓碑。日露首脳会談を前に新谷勇氏はアクセス改善を求める

 ロシアのプーチン大統領が12月、山口県長門市を訪問し、安倍晋三首相と首脳会談に臨むことが決まった。北方領土問題の進展を期待する声も上がり、山口では歓迎ムードが高まる。そんな中、長門市青海(おうみ)島に、固唾をのんで会談を見守る人々がいる。島には明治時代の日露戦争(1904~05年)における両国の戦没者が眠る。(菊池昭光)

 かつてクジラ漁が盛んだった青海島通(かよい)地区の海岸に、2つの墓碑が立つ。

 「常陸丸遭難者の墓碑」

 「露艦戦士の墓碑」

 単なる顕彰碑ではなく、実際に遭難者やロシア兵士が眠っているという。

 常陸丸は明治31(1898)年、日本最初の大型貨客船として、現在の三菱重工業長崎造船所(長崎市)で建造された。欧州航路などに就航した。

 37(1904)年2月、日露戦争が勃発すると、陸軍の御用船となり、軍事輸送にあたった。

 同年6月15日、将兵ら1千人以上を載せて中国へ向かう途中、玄界灘でロシア軍に撃沈され、多数の戦死者が出た。

 遺体は通地区周辺にも流れ着いた。沖合にいた漁師が、遺体を拾い上げ、丁寧に弔った。その子孫が現在も供養を続けている。

 翌38年5月の日本海海戦では、日本の連合艦隊がロシア・バルチック艦隊を撃破した。ロシア将兵の多数の遺体が、山陰の海岸に漂着した。通地区の海岸にも数人の遺体が打ち上げられた。敵国軍人だが、住民は丁重に弔ったという。

 当初は自然石を置いただけの簡素な墓碑だったが、「常陸丸」は大正10(1921)年12月に、「露艦戦士」は昭和43年5月に、それぞれ現在の形に整備された。

 敵味方の墓碑が、日本海に面した同じ敷地に立つ。

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