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【竹島を考える】竹島を「領土問題」にした盧武鉉、潘基文の両氏 韓国のお粗末な独島研究の現状 下條正男・拓殖大教授

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【竹島を考える】
竹島を「領土問題」にした盧武鉉、潘基文の両氏 韓国のお粗末な独島研究の現状 下條正男・拓殖大教授

盧武鉉氏とともに、竹島問題を顕在化させたといわれる潘基文氏(共同) 盧武鉉氏とともに、竹島問題を顕在化させたといわれる潘基文氏(共同)

 慎氏は社会学者だそうだが、近世の日本と朝鮮は、その社会体制が大きく異なっていた。同じ儒教文化圏に属していても、日本は地方分権的な「封建制」で、朝鮮は中央集権的な「郡県制」であった。

 鳥取藩米子の大谷・村川両家が幕府から渡海免許を与えられたのは、1618年に池田光政が姫路から鳥取に国替えした際、幕府から派遣されていた監使役の阿部四郎五郎を通じて、欝陵島への渡海を願い出たからである。

 そのため大谷家では、欝陵島に渡る際は、徳川家の家紋である葵の船印を掲げ、鳥取藩が発給した「往来手形」を所持していた。一般的に往来手形は国内の通交証として必要だったからだ。

 さらに誤植かもしれないが、慎氏は、渡海免許を与えられたのは「島根県の2つの漁師一族」としている。明らかな誤りである。渡海免許は、島根県ではなく鳥取藩米子(現鳥取県)の大谷・村川の両家に与えられ、その生業は廻船業であった。

慎むべき文献の恣意的解釈

 竹島問題だけでなく、日韓の歴史問題に言及する際は、社会体制の違いに考慮して、文献の恣意(しい)的解釈は慎むべきである。

 慎氏は、朝鮮時代に欝陵島が空島状態にあった理由として、「壬辰倭乱(じんしんわらん)(文禄の役)の時、日本は欝陵島に入ってきて住民たちを殺して略奪した。これに対して朝鮮は住民たちの犠牲を防ぐために『空島政策』を行った」としている。

空島政策の真実は島民の倭寇化を防ぐため

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