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【福嶋敏雄の…そして、京都】(68)水上勉 名文学を生んだ遊郭あそび、千本中立売で安酒、禅寺で兄弟子のイジメ…

 若狭出身の水上は家が貧しかったため、口減らしのため、今出川通り沿いにある相国寺の塔頭(たっちゅう)に奉公に出される。厳しい禅寺生活に耐えられずに脱走し、衣笠の等持院にひろわれるが、そこも去る。やがてアルバイトをしながら、立命館大学に通いだす。

 そのころから、遊郭通いがはじまった。日本経済新聞に連載された「私の履歴書」によれば、「五番町遊郭でのあそびをおぼえ、千本中立売付近で安酒を呑むようになった。(略)堕落は早かった」。大学にはほとんど行かず、毎晩のように五番町に通った、と吐露している。

 だがこの京都時代は、水上文学にとっては、決定的であった。『五番町夕霧楼』のほか、『雁の寺』『金閣炎上』『一休』『沢庵』などの名作の舞台となった。

 --五番町から2キロほど離れた等持院に足をのばした。庭の美しい、こじんまりとした古刹である。臨済宗天龍寺派の禅寺で、室町幕府をひらいた足利尊氏の菩提寺でもある。幕末、尊皇の志士によって尊氏の木像の首が切られたことでも知られる。

 「私の履歴書」によれば、等持院での修行も苦しく、兄弟子たちにいじめられる日々であった。「集団における人間のエゴイズムによる陰湿な地獄図は等持院の庫裏生活を思い起こせば足りた。(略)いじめも兇悪陰険であった。血を見る喧嘩は絶えなかった」とある。

 この寺は文人との縁が深かった。詩人の金子光晴が2カ月ほど滞在し、代表作『こがね蟲』の推敲(すいこう)を重ねたほか、富田砕花、日夏耿之助らも逗留した。苦しい修行時代にあって。水上は文人たちが放つ独特の香気に魅せられたのかもしれない。

福嶋敏雄 福嶋敏雄 産経新聞大阪本社で運動部長、社会部長などを歴任し、現在は特別記者兼編集委員兼論説委員。以下は本人談。「戦後の飢えと貧しさの中では、異例なほど、すこやか、かつ、たおやかに育った団塊の世代である。いまはぽかぽかと陽があたる窓際で、『余興』のように原稿を書いている。それを『ヒマ』とみなした、かつての部下から、『大阪・関西を舞台に、何かを書け!』という指示が、老躯の背を不意に打った。大阪の町には、22歳のとき、はじめてやって来た。当初は、違和感に充ち満ちた町であったが、幾星霜を経ることによって、『愛すべき町』となったから不思議だ。いくぶんセンチメンタルな気持ちを込めた『大阪めぐり』を「川と坂の物語」として綴ってみたが、今度は『京都めぐり』を始めたい」

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