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【五輪フェンシング】
初戦敗退の太田 父親・義昭さん「本人が一番残念だろう」
「支えてくれる人たちの力で実現したい」。北京、ロンドンに続き、五輪3大会連続でメダル獲得を狙ったフェンシング男子フルーレ個人の太田雄貴だが、初戦で敗退し、試合後には引退も表明した。「本人が一番残念だろう」。大津市内の自宅で試合を見守った父の義昭さん(63)は、思いもよらぬ結果に終わった息子をおもんぱかった。
子供のころから「1番」が好きだった。音楽の授業では、誰よりも大きな声で歌い、体育の逆上がりの回数も負けなかった。「将来有名になりそうな人」。小学校の卒業アルバムでは1位に輝いた。
フェンシングを始めたのは小学3年。経験がある義昭さんの手ほどきを受けた。居間で激しく剣を交わし、壁ははがれ天井には穴が開いた。防具をつけ、剣を付き合わせながらの父子のコミュニケーションは大学2年まで続き、日本を代表する選手に上り詰めた。
競技以外でも存在感を示し、東京五輪招致では、国際オリンピック委員会の総会でプレゼンターとして登壇。堂々とした演説を披露し、開催が決まると、人目もはばからずうれし泣きした。
この日の試合はリードを許す苦しい展開。敗退後には引退も表明した。義昭さんは「今日の試合結果で自分が決めたことだろう。優勝していたら違ったかもしれない」としながらも、「今まで苦しくても自分が好きでやってきたフェンシング。おつかれさまと声をかけてやりたい」と話した。