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【関西プチ遺産】道頓堀川の前史は「梅川」だった…江戸時代に架けられた石橋に伝わる歴史の重み

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【関西プチ遺産】
道頓堀川の前史は「梅川」だった…江戸時代に架けられた石橋に伝わる歴史の重み

高津神社の参道に架かる梅の橋=大阪市中央区 高津神社の参道に架かる梅の橋=大阪市中央区

 高津宮(こうづぐう=高津神社)への参道中ほどに小さな石橋がある。親柱には「梅の橋/明和五戌子年八月吉日/長濱屋五兵衛」と刻まれている。明和5(1768)年に架けられた石橋である。橋の下は水のない小さな「池」となっている。

 この橋と池について、江戸時代の記述がある。石橋完成の後に記された『浪花の梅』(1800年)には「今の梅の橋の流れ、昔の川筋なり。川下は道頓堀なり。此川も昔は小川なりしを、平野道頓といふ人、ひらかれしよし」とある。また、『摂陽奇観』(江戸後期)の巻六には「高津の社内に梅川・梅の橋あり。…(中略)…上古は小川ありて、今の梅の橋の流れ、其頃の川筋にて、川下は道頓堀也。昔は小川なりしを、御治世の後、安井道頓開かれしよし」と。梅の橋が架かる池は、江戸時代には梅川という流れであり、この流れの下流が開削されて道頓堀となったという。近年の研究によれば、道頓堀の開削者は成安道頓と判明しているが、ここではそれが問題ではない。

 参道を歩くと分かるが、入り口の石鳥居から梅の橋まではやや下っており、梅の橋からお宮までは登り坂となる。梅の橋・梅川が一番低くなっている。参道の東側(右手)は上町台地となっている。梅の橋の東側上、かつての谷頭(たにがしら)に位置する圓妙寺、別名は「水の寺」。ここから湧き出た水が梅川となったのであろう。

 1615年に完成し、今年で401年目の道頓堀。前史は上町台地から流れ出た梅川であったことを、江戸時代の人々は覚えていたのである。(伊藤純・大阪歴史博物館)

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