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【評伝】阪神、初の最下位転落時の監督・後藤次男さん キャッチフレーズは「みんな仲良くボチボチと」

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【評伝】
阪神、初の最下位転落時の監督・後藤次男さん キャッチフレーズは「みんな仲良くボチボチと」

「つなぎの後藤」と呼ばれた監督時代の後藤次男さん 「つなぎの後藤」と呼ばれた監督時代の後藤次男さん

 阪神の歴代指揮官のなかで、後藤さんほど担当記者に親しまれた監督はいないだろう。

つなぎの後藤といわれ

 打撃コーチ、2軍監督を経て1969年に初めて監督に就任。投手陣の大黒柱村山実、江夏豊はじめ大物新人の田淵幸一らを擁し、リーグ2位と健闘しながらもわずか1年で辞任。「つなぎの後藤」と言われたのもそのためだが、吉田義男監督の後を継いで再びチームを率いた78年は、後藤さんの人柄を物語るシーズンとなった。

 当時の長田睦夫球団社長の指令を受け、さっそくコーチ陣の人選に着手。要請にこたえた遠井吾郎、渡辺省三、山本哲也ら気心の知れたOBたちが甲子園球場近くにある後藤宅に集結。ほとんどが球場近くに住んでいたため、なんと自転車で駆けつけたのだから、前代未聞の“庶民派内閣”である。

 そしてキャッチフレーズを聞かれると、熟考の末「そうやな。『みんな仲良くボチボチと』というのはどうや」。

 チームの和をモットーにしたかったのだろうが、厳しい勝負の世界で“ボチボチ”とやってしまった阪神は、開幕から失速。苦悩する指揮官を見かねた担当記者が提案したオーダー変更を翌日の試合で取り入れたのは一度や二度ではなかった。

歩く姿はクマそのもの

 愛称は「クマさん」。腕が長く、両手のひらを前方にむけて歩く姿がクマに似ていることからつけられたわけだが、担当記者も一丸となったまさに「クマさんチーム」だった。結局、41勝80敗9分けのワースト勝率(3割3分9厘)で球団初の最下位に転落し、解任された。

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