産経WEST

【石野伸子の読み直し浪花女】昭和のサイカク藤本義一(1)TV『11PM』名司会者「俺はアルチザン(職人)」ピタリ執筆、直木賞

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【石野伸子の読み直し浪花女】
昭和のサイカク藤本義一(1)TV『11PM』名司会者「俺はアルチザン(職人)」ピタリ執筆、直木賞

テレビに出るようになりピタリとポーズが決まるようになった。男盛りの30代 テレビに出るようになりピタリとポーズが決まるようになった。男盛りの30代

 藤本義一が亡くなって3年半になる。テレビの司会者であり、直木賞作家であり、落語や漫才など大衆芸能の応援団であり、阪神大震災被災児のための家をつくる社会活動家でもあった。多彩な活躍のせいで小説家のイメージが薄れがちだが、数多くの作品を残している。藤本義一文学賞が創設されるなど、その精神を継承しようという動きも活発だ。井原西鶴に傾倒した昭和サイカクの世界を探索してみよう。

 「藤本義一文学賞」は昨年スタートした。次世代の作家育成に力を入れていた故人の遺志を継ごうと、友人らの提案で創設された。主宰者は遺族らが運営するギャラリー「藤本義一の書斎」(兵庫県芦屋市)。

 短編小説が対象で、作家の難波利三さんや落語家の桂文枝さんらの選考により受賞作も決まり、選ばれた9編は「第1回藤本義一文学賞」(たる出版)として1冊の本にまとまった。この5月には第2回の作品募集が始まったところだ。

 「藤本義一といってもテレビに出ていた人?といったイメージでしか語られず、どれだけ作品が集まるか不安でしたが、応募が千点を超え感動しました」

 夫人の藤本登紀子さん(82)は改めて「藤本義一」の名の大きさを再認識したという。

 藤本義一は生涯、旺盛な執筆活動を続けた。

 「二十歳の時、プロの作家を志して懸賞ラジオドラマ応募に投稿しはじめ、ラジオドラマ、映画シナリオ、テレビ脚本、ドキュメンタリーの構成台本、戯曲、小説、エッセイとあらゆるジャンルの書く作業をつづけてきた。原稿用紙に向わなかった日は、ほんの僅かだろう。アフリカのテントの中でも、ノルウェーの北端ノール・カップでもかじかんだ指先に万年筆を握って書いていた。この精神的軸になったのが井原西鶴の存在だった」

 とNHK人間大学「西鶴よみがえる 私の創作論」(平成11=1999=年)に書いている。

 テレビ局の楽屋でもよく書いた。さらさらっと筆を走らせ、書き損じをせず、注文の枚数にピタリと収めるのが自慢。

 「頭をかきむしって書く姿は見せませんでしたね。俺はアーティストではなくアルチザン(職人)というのが口ぐせ」(登紀子さん)。

 アルチザンは時代の要請に応じてペンを持ち変えた。藤本が初めて長編小説を書いたのは昭和43年、35歳のとき。これには理由がある。ラジオを皮切りに映画、テレビと場を移しつつ健筆をふるっていたが、昭和40年、深夜テレビ「11PM」の司会を始めて人気者になったとたん、各局からの依頼が激減した。ならば自分の名前で小説を書くしかない。

続きを読む

このニュースの写真

  • 昭和のサイカク藤本義一(1)TV『11PM』名司会者「俺はアルチザン(職人)」ピタリ執筆、直木賞

関連トピックス

「産経WEST」のランキング