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【福嶋敏雄の…そして、京都】(59)伴林光平 姉さん六角蛸錦…「天誅組」加わった歌人・国学者 獄舎で絶唱、碑は龍馬とともに

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【福嶋敏雄の…そして、京都】
(59)伴林光平 姉さん六角蛸錦…「天誅組」加わった歌人・国学者 獄舎で絶唱、碑は龍馬とともに

六角獄舎のわきにあったカシの木。龍馬も中の様子を探るためのぼったとされる=京都市中京区の武信稲荷神社 六角獄舎のわきにあったカシの木。龍馬も中の様子を探るためのぼったとされる=京都市中京区の武信稲荷神社

 丸竹夷二押御池 姉さん六角蛸錦 四綾仏高松万五条

 京都育ちの人なら、たいていは知っている俗謡である。「まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき しあやぶつたかまつまんごじょう」と読む。丸太町通りから、五条通りまでの東西道路の名前である。酒席などでなんども聞かされ、なんとなく覚えてしまった。

 いま、「四」条大宮から、北にあがろうとしている。俗謡を逆さにたどれば、「錦」小路通り、「蛸」薬師通りを経て、3つめの「六角」通りを左に折れた。幅2メートルほどの、路地のように細い道だった。

 両側に寺院や京風の町家があり、やがてマンションが建ちならんだ一角でようやく見つけた。

 六角獄舎跡である。「殉難勤王志士忠霊塔」と書かれた古ぼけた石碑が立っていた。かたわらの「平野国臣殉難の地」という案内板には、この獄舎に平野ら多くの志士が入れられ、処刑された、とある。

 平野は「生野の変」で挙兵して破れ、捕らえられた。だが、「天誅組(てんちゅうぐみ)」に加わった歌人で、国学者でもあった伴林光平(ともばやし・みつひら)が元治元(1864)年2月16日、この獄舎で処刑されたことを示す説明はどこにもなかった。

 天誅組も生野の変も、無謀な決起であった。だがすくなくとも、天皇家をうやまう心情においては平野より、光平のほうが数段も強かったように思える。歌人としても、たんに維新期だけではなく、和歌史上に名前をつらねてもおかしくない優れた歌を詠んだ。

 光平は河内国志貴郡(現・八尾市)出身の僧侶だったが、晩年になって還俗し、国学と歌道にうちこんだ。斑鳩(いかるが)の法隆寺のちかくに寓居をかまえ、国学を講じるとともに、盗掘されて荒廃しきった大和や河内の御陵の調査にあたった。「野山の嘆き」という探索行には、こんな歌をのこしている。

 むかしたれ神の荒陵田(あらはかた)に墾(ほ)りてかかる歎きの種は蒔(ま)きけむ

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