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【神武・海道東征 第10部】当芸志美々命の変(1)悲劇生んだ大后と妃の格差

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【神武・海道東征 第10部】
当芸志美々命の変(1)悲劇生んだ大后と妃の格差

タギシミミを祭る吾田神社。地元では家族円満、安産などをかなえる神とされる=宮崎県日南市(恵守乾撮影) タギシミミを祭る吾田神社。地元では家族円満、安産などをかなえる神とされる=宮崎県日南市(恵守乾撮影)

 「其の我が女(むすめ)★田世理☆売(すせりびめ)を適妻(むかひめ)と為(し)」     (★=さんずいに順のつくり。 ☆=田へんに比)

 適妻とは正妻、嫡妻のことで、このスセリビメが来たために大国主命の妃だったヤカミヒメは恐れ、生んだ子を置き、稲羽(因幡)国に帰ったことが古事記に記されている。

 「大国主命が須佐之男命の言葉に従ったように、妃と大后の差は実家の力の差です。その差を埋めるためにタギシミミは父の死後、皇后を妻にし、悲劇的な最期を遂げたのでしょう」

 〈神武天皇御東遷ニ先ダチ宮崎ノ宮ヨリ妃吾平津媛命(あひらつひめのみこと)乃皇子達ヲ随ヘ御出生地タル此ノ地ニ至リ暫ク御駐輩アラセシト伝フ

 同神社の境内に昭和15(1940)年に建てられた石碑は、東征前のイハレビコがここで最後の家族団欒(だんらん)を楽しんだことを伝えている。伝承ではその後、イハレビコはタギシミミだけ伴って日向をたった。妃のアヒラ(ツ)ヒメは阿多で夫の無事を祈り、次男のキスミミは民とともに耕作に従事した。

 「自ら身を引くような2人の生き方が、穏やかなこの土地らしいものです。ご祭神も東征に行かなかったら、違った人生だったかもしれません」

 日高宮司はそう話す。   =(2)に続く

【用語解説】日南の神々

 日向南部で海に面した宮崎県日南市には、神話の敗者を祭る神社が多い。

 タギシミミを祭る吾田神社には母のアヒラヒメも合祀(ごうし)され、裏山には小さいながらも2人の陵もある。アヒラヒメを主祭神にする吾平津神社は、地元では乙姫神社と呼ばれる。甲に対する乙で、大后の座を望まなかったヒメの人柄をしのばせる。

 日向灘から広渡川をさかのぼった地にある潮嶽(うしおだけ)神社は全国で唯一、ウミサチビコを主祭神にする神社。イハレビコの祖父で、弟のヤマサチビコに敗れた神も地元では手厚く祭っている。

【用語解説】交声曲「海道東征」

 詩人・北原白秋(きたはら・はくしゅう)が記紀の記述を基に作詩し、日本洋楽の礎を作った信時潔(のぶとき・きよし)が作曲した日本初のカンタータ(交声曲)。国生み神話から神武東征までを8章で描いている。

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