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石田三成の佐和山城、徳川に破壊尽くされていた 彦根市教委調査で明らかに

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石田三成の佐和山城、徳川に破壊尽くされていた 彦根市教委調査で明らかに

 佐和山城の石垣跡地から出土した裏込め石=滋賀県彦根市  佐和山城の石垣跡地から出土した裏込め石=滋賀県彦根市

 関ケ原の戦い(1600年)で西軍の中心人物となった戦国武将、石田三成の居城だった佐和山城(滋賀県彦根市)が、戦いのあと東軍の徳川方によって徹底的に破壊されていたことが分かり、彦根市教委が24日発表した。城が壊されたことは江戸時代の文献でも伝わっていたが、調査で初めて裏付けられた。

 滋賀県立大の中井均教授(城郭史)は「関ケ原の直後に佐和山城のように徹底的に破壊された事例は関西にはない。豊臣政権から徳川政権に代わったみせしめだろう」と話している。

 今回、本丸跡とされる区域を初めて調査したところ、造成のための盛り土がすべて削り取られ、岩盤が露出するまで削られていたことが判明した。

 また、石垣跡は痕跡が分からないほど土砂で埋めつくされており、土砂の厚さは最大で約2・8メートルに達していた。石垣を固定させるために詰め込む10~20センチの小石は出土したものの、石垣に使われていた大きな石は見つからなかった。

 佐和山城に入城した徳川家の重臣、井伊家が城を破壊し、石垣などを彦根城の築城に再利用したとみられるという。

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