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【関西プチ遺産】宗教目的から物見遊山へと変貌した「七墓めぐり」…行基創始の「南浜墓地」も泣いている

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【関西プチ遺産】
宗教目的から物見遊山へと変貌した「七墓めぐり」…行基創始の「南浜墓地」も泣いている

南浜墓地 南浜墓地

 江戸時代の中頃から明治にかけて「七墓めぐり」なるものが盛んに行われた。お盆の夜に鉦(かね)や太鼓を叩きながら夜を徹して市中7カ所の墓地をめぐった。七墓とされたのは梅田、葭原(よしはら)、蒲生(かもう)、小橋、高津、千日、飛田であったり、あるいは梅田、南浜、葭原、蒲生、小橋、高津、飛田とも。

 『大阪ことば事典』(牧村史陽編)によれば、当初は心ある人々が諸霊供養のために念仏回向するまじめな宗教行事であったが、七墓めぐりが盛んになるにつれ、宗教的目的は次第に忘れられていったらしい。江戸時代も後期から末になると、老若男女が信心を表看板にして、すっかり物見遊山気分の行事になってしまったとのこと。

 男女が一夜を共にすることから風紀面での問題が生じ、ついに天保8(1837)年には「毎年千日参り、七墓廻りと称し、男女相混じり、夜間鉦鼓を打って参詣すること、銭湯において男女混浴すること、淫猥なる書画辻占を販売することなどを禁じ」との御触れが出された(大阪市史3巻565ページ)。七墓めぐりは、社会の秩序を乱すものとして禁止された。

 ここ南浜墓地は『摂津名所図会』巻三、源光寺の項には「天平勝宝年中、大僧正行基、三昧火坑(さんまいかこう)を始むるの古蹟なり。今、浜の墓所と云う」とあり、(南)浜墓地は奈良時代に行基(668~749年)によって創始されたと記される。

 かつて行楽となった墓めぐりがあったことを知ると、歴史に新たな興味がわいてくる。(伊藤純・大阪歴史博物館)

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