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【西論】沈む日本経済とダブる女子マラ…大阪にラストチャンス

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【西論】
沈む日本経済とダブる女子マラ…大阪にラストチャンス

1回大阪女子マラソン(現大阪国際女子マラソン)。競技場を後に、外周道路へ向かうランナーたち=1982(昭和57)年1月24日、大阪市東住吉区の長居公園 1回大阪女子マラソン(現大阪国際女子マラソン)。競技場を後に、外周道路へ向かうランナーたち=1982(昭和57)年1月24日、大阪市東住吉区の長居公園

 1982(昭和57)年の第1回から、この大会には海外で最強というべきランナーたちを招いてきた。長く女王として君臨したノルウェーのイングリッド・クリスチャンセンしかり、88年の五輪金メダリスト、ポルトガルのロザ・モタや銀の豪州のリサ・マーチン、もちろんシドニー五輪銀、ルーマニアのリディア・シモンも走っている。

 こうした世界の強豪たちと直に戦うことで、日本女子の実力は、底上げがはかられたのである。そして、それがのちに2000(平成12)年シドニーの高橋、04年アテネの野口みずきの連続金メダルへとつながってゆく礎(いしずえ)となった。

 ◆いでよ、ヒロイン

 この大会を平成元(1989)年から取材している。当時は日本の女子マラソンが世界へはばたく時期に重なっていた。実際、有森の銀メダルはバルセロナで取材したし、高橋のデビュー戦のあと「さよならパーティー」で彼女にビールをついでもらったときに「これからも頑張りなさい」と声を掛けた記憶も残っている。

 しかし、どうだ。

 それからシドニー、アテネの2大会で頂点を極めた日本の女子マラソンはいま、低迷にあえいでいる。それを物語るのが大会記録だ。今も残っている2時間21分18秒は2003年に野口によって作られた。以来、日本選手に限れば2時間21分台はおろか22分台さえ出ていない。

 高い視座から見ると、日本の女子マラソンの抱える問題は、この国の置かれた「いま」と似ている。戦後、日本はがむしゃらに米国という手本を追い、先進国の仲間入りを果たすと、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とうたわれるまでに上り詰めた。

 けれども、時代は次第に変わり、気がつけば、財政の悪化や少子高齢化、さらには国際競争力の低下など、多くの課題を抱える国家となっていた。

 女子マラソンもまた、バブル期に「雨後のたけのこ」のように次々生まれた企業チームが切磋琢磨(せっさたくま)し、さらにそのなかのエリートが世界の強豪たちを追いかけることによって、頂点を極めた。

 しかし、低成長時代に入り、企業の支援が弱まると、国力と同様、一気に国際競争力の低下に直面してしまった。日本社会も日本の女子マラソンも、知らぬ間に前例のない状況に追い込まれ、右往左往しているというのが実情なのだ。

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