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【仮面ライダー45周年(下)】「夢中だった仕事が、みなさんの心に」 美術担当のエキスプロダクション代表、八木功さん

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【仮面ライダー45周年(下)】
「夢中だった仕事が、みなさんの心に」 美術担当のエキスプロダクション代表、八木功さん

20代で「仮面ライダー」の美術担当に参加していたころを振り返る八木功さん=東京都調布市 20代で「仮面ライダー」の美術担当に参加していたころを振り返る八木功さん=東京都調布市

 昭和46(1971)年にテレビ放映を開始した変身ヒーロー「仮面ライダー」は、仮面ライダーの格好良さもさることながら、敵の怪人の恐ろしさが際立っていたからこそ、子供たちを夢中にさせた。当時、怪人や敵組織ショッカーの造形など美術全般を担当した「エキスプロダクション」の代表、八木功(つとむ)さん(65)に制作当時のエピソードを聞いた。(聞き手 栗川喜典)

 《八木さんの祖父は東宝で怪獣「ゴジラ」の造形を担当。父の正夫さんも大映で怪獣「ガメラ」などを造形し、のちに仲間とともにエキスプロを設立した。八木さんは幼少時から祖父や父の現場に出入りし、造形などになじみがあった》

 私はもともと映画の(場面を撮影する)スチールカメラマンだった。旧知の美術スタッフ、高橋章さんから「一緒にやらないか」と誘われたのがおやじ(正夫さん)が代表を務めるエキスプロで、「今度、仮面ライダーというのをやるんだ」と聞かされた。当時21歳ぐらいで、台本を見ても「変身って何だ?」という感じ。最初は現場付きの小道具担当としてショッカー戦闘員のベレー帽(初期はマスクをかぶっていなかった)を買いそろえたりした。

 《元東映プロデューサー、平山亨(とおる)さんの著書「仮面ライダー名人列伝 子供番組に奇跡を生んだ男たち」(風塵社)などによると、当時は労使の賃金闘争がこじれており、「仮面ライダー」のスタッフは撮影所のストライキに巻き込まれないよう、東京都心部から離れた川崎市のスタジオで撮影していた》

 撮影現場には映画界から転じたスタッフらが大勢参加していた。最初はロケ先で「東映です。『仮面ライダー』の撮影です」と名乗っても、「知らねえなあ」なんて言われたりね。北海道の撮影ではわれわれスタッフはヘルスセンターみたいな所に雑魚寝だった。やがて視聴率が20%を超えて人気はうなぎ上りとなり、各地から撮影に来てくれといわれるようになった。

休日は元日・お盆の計2日だけ…「ショッカーやられ方も工夫、溶けてくように」

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