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【マリオと駆けた30年(1)】制限があるなか ソフトを作る喜び 任天堂ゲームプロデューサー、手塚卓志さん

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【マリオと駆けた30年(1)】
制限があるなか ソフトを作る喜び 任天堂ゲームプロデューサー、手塚卓志さん

任天堂の手塚卓志さん=京都市南区(柿平博文撮影)

 テレビゲーム普及のきっかけともなった任天堂のゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」が昭和60(1985)年9月に発売されて今年で30年。大きな鼻と口ひげがトレードマークのマリオが走り回るコースは、遊んだことのある人なら記憶に残っているだろう。今も世界中で楽しまれているコースはどのように作られていったのか。制作を担当した任天堂ゲームプロデューサー、手塚卓志さん(55)に聞いた。(聞き手 織田淳嗣)

 --ゲームづくりがしたくて任天堂に入ったのですか

 手塚 それほどゲームが好きで入社したわけではありません。学生時代にデザインを勉強していたんですが、仕事には「遊び」とか楽しいものを作ることがしたかった。それで漠然とゲームのための絵を描く仕事をするつもりで入ったんです。当時職場では人数や時間が限られた中でゲームを作っており、絵を描く以外にゲームのコースを作る仕事があったんです。

 --スーパーマリオブラザーズの仕事はいつから

 手塚 マリオの生みの親であるゲームプロデューサー、宮本茂さん(現任天堂専務)が昭和60年2月に企画しました。すでにマリオが登場するゲームはあったのですが、それまでより大きなキャラクターがフィールドを走り回るゲームを作ろうということで、手伝うことになりました。

 --なぜ大型なんですか

 手塚 操作していて気持ちが良いからです。アクションゲームはキャラクターが大きい方が動きがプレーヤーに伝わりやすい。大きいマリオを陸、海、空で動かしたいと。その話を聞いて「楽しそうだな」と思いましたね。試作品ではマリオの形をしていない四角いだけの「大きな箱」を画面上で動かしていたんですが、大きなものを動かしたときのうれしさがありました。

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