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【関西プチ遺産】
戦争時に零戦を隠した「掩体壕」は、歴史を考える重要な実物
大阪府八尾市に残る戦後遺産「掩体壕」
数年前、史跡散策をしていた時、巨大な蒲鉾(かまぼこ)状のコンクリートのドームが目に入ってきた。周囲の風景とは全く相いれない構造物。近くで農作業をしていたご婦人に、巨大な蒲鉾が何ものであるか尋ねた。「戦争中に零戦を隠しておいたもの」とのこと。経済白書で「もはや戦後ではない」との宣言があった昭和31(1956)年生まれの私には、にわかには理解できなかった。
その後、蒲鉾ドームが気になり、少し調べてみた。『八尾市史 近代本文篇』(1983年)では「本土決戦にそなえて軍では飛行機を隠すために、高安山麓に、飛行機の避難のためのコンクリートの小屋がつくられた。これを掩体壕(えんたいごう)という」と短い記述。辞書を見ると、掩は「覆い隠す」で、体(零戦)を覆い隠す壕という意味。
ネット上に、地元の松倉孝治さんの「八尾の掩体壕について」が公開されている。それによると、近辺にはいくつかの掩体壕があった。現在残っているものは、戦後に鉄材を取るために前の部分を壊したので本来はもっと長かった。戦争中は掩体壕が攻撃目標にされた。「もし、飛行機が隠されていたら垣内の地域はもっとひどい空襲にあっていた」。松倉さんの「戦争当時は、みんなが大変な思いをしました。だから、二度と戦争はしてはいけないと思います」という言葉は重い。
掩体壕は、歴史を考える重要な実物である。(伊藤純・大阪歴史博物館)
