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【花燃ゆ維新伝(43)】吉田松陰の「飛耳長目」を実践した龍馬…名君・松平春嶽に意見を求める

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【花燃ゆ維新伝(43)】
吉田松陰の「飛耳長目」を実践した龍馬…名君・松平春嶽に意見を求める

松平春嶽肖像写真(霊山歴史館提供)

 坂本龍馬は脱藩し江戸に向かった。頼れるところは、やはり千葉道場しかなかった。千葉佐那とも恋仲であった。土佐では初恋の平井加尾がいた。龍馬もなかなか隅におけない。

 脱藩の身では品川の土佐藩邸にも近寄れない。土佐勤王党とは、ひそかに連絡をとっていた。

 龍馬は人の意見をよく聞く。吉田松陰が門下生に求めた「飛耳長目(ひじちょうもく)」を龍馬も実践していた。耳を飛ばし情報を集め長い目で物事を考えることが、人生にはいかに大切かという考えである。

 それにはその時代を一番動かし輝いている人物から、直接意見を求めることであった。そこで龍馬は現在の総理大臣にあたる政事総裁職就任の朝に、前の越前藩主松平春嶽(しゅんがく)に会うことした。

 春嶽の前に土佐の一介の志士龍馬と岡本健三郎が面会を求めた。

 「老生、政事総裁職の命を受くるは(文久二年)六月也。或日朝登城の前突然二人の士、常盤橋邸に参入して春嶽侯に面会を乞ふ。諾して面話す。此二人は坂本龍馬、岡本健三郎なり。其後此両士を招き両士の談話を聞くに、勤王攘夷を熱望する厚志を吐露す。其他懇篤(そのたこんとく)の忠告を受く。感佩(かんぱい)に堪へず」(春嶽手記)

政事総裁職

 春嶽は文政11(1828)年、御三卿のひとつ田安家徳川斉匡(なりまさ)の六男として生まれた。11歳の時、将軍徳川家慶(いえよし)の命で越前藩主松平斉善(なりさわ)の養子となり、32万石の藩主となった。

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