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【神武・海道東征 第7部】紀和の道(3)高天原の救援 「天つ神の御子」に

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【神武・海道東征 第7部】
紀和の道(3)高天原の救援 「天つ神の御子」に

高倉下を祭る神倉神社。ご神体のゴトビキ岩は横刀が下った場所とされる =和歌山県新宮市(恵守乾撮影)

 熊野灘で2人の兄を失ったカムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)が上陸した、と日本書紀が書く熊野の荒坂津(あらさかのつ)。書紀は、またの名を丹敷浦(にしきのうら)と紹介した後で、こう続ける。

 〈因(よ)りて丹敷戸畔(にしきとべ)といふ者を誅(う)つ〉

 現在の和歌山市付近に勢力を持った名草戸畔(なぐさとべ)に続いて、地元の首長を討伐したというのである。丹敷戸畔は、現在の和歌山県串本町から三重県大紀町錦までの熊野灘沿岸を統治していたとみられる。名草戸畔と同じように詳しい伝承は残っていないが、勢力圏だった現・那智勝浦町に残る前方後円墳がわずかに、足跡をしのばせる。

 「前方後円墳は、大和政権に連合した証し。副葬品から女性が埋葬されたとみられ、巫女(みこ)のような立場で土地を治めていた女性首長が征服され、首長権が移り変わったと考えられる」

 和歌山大の武内雅人・元客員教授はそう話す。

 〈時に神、毒気を吐き、人物咸(ことごとく)に瘁(を)えぬ〉

 丹敷戸畔を討った後のイハレビコ一行について、書紀はそう書く。古事記は、熊野の村に到る時のこととして、さらに詳述する。

 〈大き熊、髪(くさ)より出で入るすなはち失せぬ。尓(しか)して神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)●忽(たちま)ちにをえ為(し)たまひ、また御軍もみなをえて伏しぬ〉

 神か熊の毒気によって、イハレビコも兵士も気を失ったのだ。3人の兄すべてを失ったイハレビコ自身の最大の危機を救ったのは熊野の住民、高倉下(たかくらじ)だった。天照大御神の命でタケミカヅチノカミが高天原から下した「一横刀(たち)」を持って駆けつけ、イハレビコを眠りから覚ますのである。

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