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【神武・海道東征 第6部】浪速の海(4)兄の無念 終焉の地に広がる

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【神武・海道東征 第6部】
浪速の海(4)兄の無念 終焉の地に広がる

血沼の海とされた泉南市沖の大阪湾、手前は男里川の河口 (本社ヘリから、恵守乾撮影)

 〈「賤(いや)しき奴が手を負ひてや、死なむ」とのりたまひ、男建(をたけび)して崩(かむあが)りましむ。故其の水門(みなと)を号(なづ)けて男水門(をのみなと)と謂(い)ふ〉

 ナガスネビコとの戦いで矢傷を負った五瀬命(いつのせみこと)の最期について、古事記はこう書く。その終焉(しゅうえん)の地とされる場所に建つのが男(おの)神社(大阪府泉南市)である。「おたけびの宮」とも呼ばれるのは、イツセが無念の思いを「男建」して亡くなったことに由来する。

 「本当にご祭神が亡くなったといわれるのはお宮から1キロほど北。摂社浜宮が建つところです。今は周囲は住宅街ですが、当時は砂浜だったそうです」

 イツセと弟のカムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)を本殿に祭る神社の菅野洋子宮司はそう話す。現在、神社がある地名も「男里」。イツセの無念を伝える文物は神社の周辺一帯だけでなく、隣接する阪南市にまで広がっている、と菅野宮司は語る。

 「両市域にまたがって七塚と呼ばれる塚があり、今も3カ所で残っています。ご祭神とともに傷つき、亡くなったご家来衆の塚で、近年まで七塚参りを行う習慣があったそうです」

 ◇

 〈南の方より廻り幸(い)でます時に、血沼(ちぬ)の海に到り、其の御手を洗ひたまふ。故血沼の海と謂ふ〉

 男水門に至るまでのイツセについて、古事記はこう記す。チヌはクロダイの別名としても残り、大阪湾は古来、クロダイが豊富でチヌの海と呼ばれた。血が穢(けが)れではなく、豊かさにも通じるものとして描かれている点で、この記述は興味深い。

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