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【衝撃事件の核心】「1人でも多く殺す」山口組トップ狙撃事件の首謀者が真相激白 修羅の道を抜け牧師になった理由とは

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【衝撃事件の核心】
「1人でも多く殺す」山口組トップ狙撃事件の首謀者が真相激白 修羅の道を抜け牧師になった理由とは

山口組トップ狙撃事件について語る牧師の吉田芳幸さん。当時は武闘派と呼ばれ、山口組組員に射殺された兄の復讐のため、命を捨てる覚悟で山口組との〝全面戦争〟に踏み切ったという=大阪府東大阪市

「1万人超組織」からの逃避

 山口組の報復は執拗(しつよう)で残忍だったとされ、「捜索能力は警察よりも確実」と評されることもあった。にもかかわらず、逃亡先に選んだのは、山口組のおひざ元、神戸市だった。「一人でも多く殺して、死んでやるという思いだった」

 鳴海組員はサングラスや帽子で変装し、神戸の夜を出歩いた。だが、大胆とも思える行動が影響したのか、鳴海組員はその年の9月17日、六甲山中(兵庫県)で腐乱死体で発見される。遺体には激しい暴行の痕があった。遺体の背中に残った入れ墨をもとに身元が特定された。

 「自分の命をほって(捨てて)くれた。残念だと思うが、仕方がない」。吉田さんは静かに語る。この事件は未解決のままとなっている。

 吉田さんは、警察と山口組関係者の追っ手から逃れるように隠れ家を岡山に移したが、兄弟分の組員に連絡をとったことで足がつき、ベラミ事件から3カ月後、大阪府警に殺人未遂容疑で逮捕された。「まだ戦う気だった。悔しかった」

 警察は総力を挙げ、報復抗争にかかわった山口組の主要幹部ら282人を摘発し、傘下の7組織を解散させた。大阪戦争は53年11月、山口組が一方的に「抗争終結」を宣言し、終わりを迎えた。

 吉田さんは懲役5年の実刑判決を受け、札幌刑務所に収監された。

 北海道なら山口組の影響力が及ばないとみられたからだ。しかし、収監先が札幌刑務所という情報はすぐに広がり、山口組系の組員は札幌で次々と事件を起こし、約30人が札幌刑務所に送り込まれてきた。

 「はじめから腹をくくっていたから、いつ殺されてもいいが、黙って殺されはしないぞ、と思っていた」

 吉田さんは「五舎」と呼ばれる独居房から一歩も外に出ることが許されない生活を強いられた。

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