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【衝撃事件の核心】「1人でも多く殺す」山口組トップ狙撃事件の首謀者が真相激白 修羅の道を抜け牧師になった理由とは

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【衝撃事件の核心】
「1人でも多く殺す」山口組トップ狙撃事件の首謀者が真相激白 修羅の道を抜け牧師になった理由とは

山口組トップ狙撃事件について語る牧師の吉田芳幸さん。当時は武闘派と呼ばれ、山口組組員に射殺された兄の復讐のため、命を捨てる覚悟で山口組との〝全面戦争〟に踏み切ったという=大阪府東大阪市

闇取引で巨万の富

 腕っぷしには自信があった。仲間の一人が松田組の組員とけんかして、大阪・西成の組事務所に連れ込まれたと聞くや否や、仲間を助けたい一心で組事務所に乗り込んだ。

 「ええ根性しとんのう」。たまたま居合わせた松田組系宮本組の親分に根性を買われ、「うちに来い」と〝スカウト〟され決心。高校を中退し、組事務所での下積み生活が始まった。

 「おれは日本一のヤクザになってやる。どうせやるならトップだ」

 そう心に誓い、夜も明けきらぬうちから大阪の中央卸売市場の青果店でアルバイトし、組事務所での「お務め」が終われば博打(ばくち)場で下足番をして稼いだ。市場で芳弘氏がけんかの末に刺されれば、〝犯人〟を捕まえて「ぼこぼこにいわせた」。

 23歳の若さで家を建て、24歳になると「がま」と呼ばれる入れ墨を背中に入れた。「体を汚すということは親と縁を切るということ。親分は自分の親であり、一生ヤクザをするという気持ちの表れ」だった。

 海外にも渡航し、拳銃や覚醒剤の闇取引で巨万の富を得た。「罪悪感はあるが、金を持っている方がヤクザは上。金もうけしたろと…」。極道の世界では何よりも金がものを言った。香港で高級時計の偽物を1つ3500円で仕入れると、日本では10万円で売れたという。

「仇(かたき)は山口組3代目」

 40年前の昭和50年7月26日、後に「大阪戦争」と呼ばれる暴力団抗争の火ぶたが切られた。賭場でのトラブルから、大阪府豊中市の喫茶店「ジュテーム」で、山口組直系佐々木組傘下の組員3人を、松田組傘下の溝口組組員らが射殺したのだ。

 報復合戦は熾烈を極めた。51年10月、大阪・日本橋の商店街で松田組系の大日本正義団の初代会長を務めていた芳弘氏が山口組系組員に射殺される。35歳だった。跡目は吉田さんが継ぎ、2代目会長に就いた。

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