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【戦後70年】平和への思い 作品にひそかに込める 宝塚歌劇団脚本・演出家 柴田侑宏さん(83) 

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【戦後70年】
平和への思い 作品にひそかに込める 宝塚歌劇団脚本・演出家 柴田侑宏さん(83) 

戦時中の体験について語る柴田侑宏さん=兵庫県宝塚市(頼光和弘撮影)

 大阪の小学校4年だった昭和16年、真珠湾攻撃があり、戦時下の生活が始まった。11歳のときに父が病死し、手に職をつけようと大阪府立今宮工業学校(現・府立今宮工科高校)に進学した。学校では鋳造を学ぶ一方で、モールス信号や手旗信号などの軍事教育も受けた。おいしいものを食べられず、おなかが減るばかりの貧しい生活状況が何よりもつらかった。

 2年生に進学すると、徴用されて大阪市内の軍需工場で旋盤を使って砲弾を削り出す作業に携わった。

 《第二次世界大戦末期の20年3~8月、大阪市はたびたび大空襲に見舞われた》

 作業していた工場も同年6月に空襲に遭い、分隊長役の教師の指示に従って焼(しょう)夷(い)弾が燃える熱い道を走って逃げた。近くの防空壕(ごう)に爆弾が直撃し、田んぼ脇の水路には遺体が浮かんでいた。命からがら大正区にあった家に帰り着いた。

 その年の8月、夏休みで父の墓参りのために訪れた愛知県豊橋市で終戦を迎えた。家族や友人は無事だったが、同じように工場で働き、同い年で仲が良かったいとこは空襲で亡くなった。似たような境遇でいとこは死に、私は生き残った。人生の岐路を感じた。

 終戦後、「自由」が訪れた。街にはさまざまな音楽があふれ、はやりの芝居をいつでも見ることができた。戦時中とは違って、自分に合った生き方を自由に選べる喜びを感じた。歌舞伎が好きだった母の影響で芝居に夢中になり、高校2年のときに演劇部を立ち上げた。

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