産経WEST

【都市を生きる建築(37)】「川のあるまち」地下街を「通路」から「広場」に変えた…阪急三番街

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【都市を生きる建築(37)】
「川のあるまち」地下街を「通路」から「広場」に変えた…阪急三番街

地下2階に設けられた「トレビの広場」。かつては訪れる人々がコインを投げ入れた(撮影・西岡潔)

 梅田の地下街といえば、外から訪れる観光客はもちろん、地元の大阪人でさえ迷ってしまう広さと複雑さで有名だ。もともとは戦後のモータリゼーションがもたらした道路事情の悪化に対応すべく、歩行者の安全な経路を確保するために設けられた地下通路に端を発し、両側に店舗が並ぶようになり、高層ビルの地下階が有機的に接続していくことで、網目状の神経組織のようなネットワークが形成されていった。

 そんな梅田の地下街のなかでも、とりわけよく知られるのが阪急三番街だ。厳密には地上も含めた梅田駅の下全体が三番街なのだが、「川が流れる街」として知られる地下の印象が強いため、「三番街」といえば多くの人は地下街を想像してしまうだろう。

 1969(昭和44)年にオープンした三番街は、阪急電鉄(当時は京阪神急行電鉄)梅田駅の移設工事に伴って計画された。もともと梅田駅はJR西日本(当時は国鉄)の線路の南側にあり、阪急百貨店の建物に囲まれた空間では乗降数の増加に対応しきれなくなったため、線路の北側に駅全体を移して拡大する計画が立てられた。そして駅下には集客力のある斬新な商業施設を設けるべく、地下空間に「自然」としての「水」を導くアイデアが取り入れられた。勾配のない地下2階に長さ90メートルもの川をつくるという前代未聞の計画は、店舗面積が約1000平方メートルも無駄になるとの懸念の声も上がったが、オープンすると連日の大盛況ぶりで、キタの新名所としてマスコミにも大きく取り上げられた。

このニュースの写真

  • 「川のあるまち」地下街を「通路」から「広場」に変えた…阪急三番街

「産経WEST」のランキング