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【九転十起の女(32)】三井家が敷地を用意、大学創立は東京へ

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【九転十起の女(32)】
三井家が敷地を用意、大学創立は東京へ

夫とともに浅子(左)を支援した三井寿天子(右)(大同生命保険提供)

 政財界の大物たちの支援を受け、華々しくスタートしたかにみえた資金集めだが、明治30(1897)年後半期から32年前半まで停滞ムードに包まれた。

 ひとつには戦争後の不景気風が吹き始め、協力者が広がらなかったこと。女子高等教育への理解もまだまだ不十分だった。

 その時期、浅子は何度も上京して資金集めに動き、一方で資金提供も惜しまなかった。成瀬がもっとも苦しかったその時期、浅子個人で1万1千円以上の援助をしたとみられる。

 明治32年半ばに入り、やっと景気も上向いてきた。住友、鴻池、芝川、村山、北畠など大阪の財界人から申し出が相次ぎ、岩崎家、古河家など大口の出資も相次いだ。

 そのころから、設立地問題が起こってきた。当初、大阪の開校を計画し、大阪市天王寺区内に敷地(現在の府立清水谷高校)も確保していたが紆余(うよ)曲折ある中で、やはり中心地・東京にという声が強くなってきた。大阪を前提に出資した人からは不満も聞こえる。そんな中、キャスチングボートを握ったのはやはり浅子だった。

 当時、物心両面で浅子を強力にバックアップしたのは義弟の三井高景(たかかげ)だった。浅子の実家・三井小石川家8代を継いだ高景は三井鉱山会社社長を務めるなど三井財閥の中核として活躍していたが、夫人の寿天子(すてこ)ともども浅子に協力を惜しまなかった。

 その三井家から目白の土地5500坪と5万円の寄付の申し出があったのは明治33年5月。一気に話が進み、翌年の開校がついに決定した。

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