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【九転十起の女(27)】女盛りもとうに過ぎ…夫とお手伝いの間に子供

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【九転十起の女(27)】
女盛りもとうに過ぎ…夫とお手伝いの間に子供

浅子の1人娘、広岡亀子と夫の恵三(大同生命保険提供)

 広岡浅子は明治9(1876)年10月、娘を出産している。浅子28歳の年。

 亀子と名付けられた一人娘はその後、元播州小野藩主の一柳子爵の次男、恵三と結婚し、その恵三が信五郎の死後、広岡家の家督を継いだ。東京帝大出身、三井銀行をへて加島屋の経営に参画し、大同生命社長を33年間務めるなど明治・大正・昭和にいたる激変期の加島屋の屋台骨を支えた。

 維新後、大きく傾いた家勢もそのころには盤石なものになっていたが、浅子が出産した明治9年といえば、まだまだ維新後の不振が続き、浅子も娘の育児にのんびりかかわっている時期ではなかっただろう。

 日本女子大で開かれた浅子の追悼式で2代目校長・麻生正蔵が語った思い出話でも、「明治9年ごろからの数年間は内憂外患こもごも来たり、浅子刀自最大苦心の時代であった」と述べている。

 夫をはじめ当主を継いだ義弟など加島屋一族を叱咤(しった)しつつの家業の整理。炭鉱など新事業の開拓。なんとか難局を乗り越え、一族で念願の加島銀行設立を果たしたのは明治21年。

 以後、加島屋は隆盛期に入り、夫の信五郎も加島銀行2代目頭取、尼崎紡績(のちのユニチカ)初代社長を務めるなど、大阪実業界の実力者として知られる存在になる。

 そんな「最大苦心の時代」、広岡信五郎家では新しい命が次々生まれていた。明治16年、17年、18年と続く女児の出産。そして銀行誕生の年、21年には広岡家初めての男児出産。

 松三郎と名付けられたその男児は、後に大同生命保険4代目社長に就任している。

 母親はいずれもムメ(通称・小藤)。浅子より5歳年下で、三井家から浅子にお供してやってきたお手伝いの女性だった。

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