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【九転十起の女(13)】謡曲、茶の湯…夫はのんきに大名暮らし

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【九転十起の女(13)】
謡曲、茶の湯…夫はのんきに大名暮らし

西横堀川方向から見た加島屋本家(大同生命保険提供)

 浅子が嫁いだ広岡信五郎は、鴻池家と並ぶ大阪の豪商・加島(かじま)屋一族の人間だ。

 広岡家は現在の大同生命保険(本社・大阪市西区)の創業家。浅子はこの保険会社設立に大きく貢献することになるが、それはまだ先の話。浅子が嫁いで37年後の出来事だ。

 「大同生命七十年史」(昭和48(1973)年)によれば、広岡家は村上源氏に連なる赤松家を遠祖とし、寛永2(1625)年に大阪御堂前で精米業を始めた広岡正教が初代・加島屋を名乗る。3代目が事業拡大をはかって両替店兼諸国取引米問屋を営み、4代目が大いに商才を発揮し、以後300年余り続く豪商加島屋の基礎を作った。

 浅子の夫、信五郎はその広岡家8代正饒(まさあつ)の次男。早くに「新宅」と呼ばれる分家の嫡男として養子に出された。正饒は2人が結婚して4年後の明治2年に亡くなるが、本家の嫡男である長男は夭逝、次男の信五郎は養子に出ていたことから本家は三男の正秋が継ぐことになる。しかしまだ24歳と若い。3歳年上の信五郎が何かと後ろ盾になり、加島屋をもり立てる立場となる。

 もっとも浅子が結婚した当座はまだ正饒は健在。夫の信五郎は分家の当主としてのんきな大名暮らしをしていた。

 先の「七十年史」によれば、当時の加島屋の所有地は広大。現在の大同生命の本社ビル(西区土佐堀1丁目1番地)あたりに本家があり、土佐堀川沿いに面して西横堀川や江戸堀川に囲まれた肥後橋一帯を所有していた。別荘や蹴鞠場を持ち、分家も本家に隣接して住んでいた。浅子も大正11年に大同生命ビル新築のため、本家が天王寺に移転するまで当地に住んでいたと思われる。

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