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【九転十起の女(12)】「万一帰るなら尼僧にする」親が決めた結婚に覚悟

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【九転十起の女(12)】
「万一帰るなら尼僧にする」親が決めた結婚に覚悟

浅子の夫、広岡信五郎(大同生命保険提供)

 慶応元(1865)年、浅子は大阪の豪商広岡信五郎と結婚した。かぞえ17歳の春。

 明治維新まであと3年。江戸期最後の改元という激変の時代にあって、嫁入りの様子は旧態然としている。「稿本三井家史料 三井高喜(上巻)」には次のような記述がある。

 三月二十六日晴天、「出水三郎助様・御春様・御照様、右御三方様、今昼御同船ニテ御下坂被遊候」

 四月十日曇晴、折々小雨、「出水三郎助様御方御照様御儀、去ル三日大坂加島屋信五郎様方ヘ御入嫁被遊候」

 「御同所御春様御儀、去ル九日同地天王寺屋五兵衛様方江入嫁被遊候」

 三郎助は浅子の義兄で、出水家の当代当主・三井高喜の名前。照が浅子の幼名。春は腹違いで2歳年上の浅子の姉。つまり、姉妹は同時期に大阪に嫁入りするため、当主に連れられ京都を船で出発、1週間後の4月3日に先に浅子が加島屋で挙式。次いで6日後に姉の春が天王寺屋で挙式という段取りだ。

 4月17日には「大阪での慶事がすべてうまく運び」三郎助は帰京。江戸店まで回文が出され祝いが各店に届いたとある。

 2人の結婚は早くからの決め事だった。浅子の場合、高喜の養妹として三井家に入った2歳の時点で婚約が整えられたと思われる。自伝「一週一信」にこう書いている。

 「二歳といふまだ片言も云ひ初めぬ間に、早くも大阪の広岡家に許嫁の身となりました。これは当時重縁と云って、縁家同志の結婚を喜びましたが、私のもこの重縁の為めに、早く取定められたのでした」

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