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【歴史戦WEST】
南京事件「虐殺30万人」に疑念 日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、中国匪賊の「蛮行」
日中戦争に従軍した西山源次郎さん。自身のカメラを持参して、当時の中国の様子などを撮影したとみられる(西山邦夫さん提供)
手記によれば、源次郎さんらが南京城に入ったのは陥落の前日だ。その後、城壁上での警備を命じられ、夜を明かす。空が白み始め、眼下に広大な南京城内が姿を現す。
《南京城は周囲十二里、汽車の線路もありその巨大さに驚くとともに、随分馬鹿げたものを作ったものと呆れる》と心情を記している。
踏み荒らされた家屋に「惜しい」
日記は数日途絶え、16日から再開する。
この日、雨花門周辺の警備を担当していた源次郎さんは、部下を率いて城壁上を移動。《支那兵の弾薬、迫撃砲弾など夥く、死体も数十ありたり》という状況だった。
午後11時ごろまで任務に就いたが、その間、大隊長から、部隊の団結とともに規律の維持を求められたという。
17日には《午前九時半集合、正午南門を発する予定…(中略)十時には早くも出発》。次の任務地に向かうため南京城を離れた。
自らも航空自衛隊で空将補を務めた邦夫さんは、自身の経験を踏まえ、17日の記述に着目するのだ。
「師団であれば万単位、連隊でも何千人単位で構成されている。部隊は前夜遅くまで警備を行っていたにもかかわらず、急な移動命令でもただちに出発できる態勢を確保していた。このように迅速に行動できるのは、高い士気と規律を維持していたからに違いない」
日記や手記だけでなく、源次郎さんは妻にあてた私信の中でも南京城内の様子について触れている。南京陥落から約1カ月半後の昭和13年1月25日付の手紙にはこうある。
《南京城では千円もするような毛筆を見つけた者や、銀狐や時計、双眼鏡、拳銃、首飾り等々金目の物を大分見つけた者もあるやうです。残幣を何万円も見つけた者があって、将校はいちいち取り締まらなければならないので、困りました》




