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【歴史戦WEST】南京事件「虐殺30万人」に疑念 日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、中国匪賊の「蛮行」

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南京事件「虐殺30万人」に疑念 日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、中国匪賊の「蛮行」

日中戦争に従軍した西山源次郎さん。自身のカメラを持参して、当時の中国の様子などを撮影したとみられる(西山邦夫さん提供) 

 源次郎さんは、慶應大を卒業後、帝国生命(現朝日生命)に勤務していた昭和12年9月に召集された。この年の7月、日中戦争が勃発しており、源次郎さんは陸軍第114師団歩兵第115連隊の小隊長として中国大陸に向かった。

 同年12月10日から始まった南京総攻撃。当時の源次郎さんの日記には、鉛筆書きで南京城が陥落した同月13日までの出来事が1~2行、簡潔に記されているだけだが、時折次のような記述もある。

 《道がよければ二日か三日で来られる距離と思うに、悪路のため二十日もかかり兵の苦労たるや何とも言いようもなく、泥んこで休憩する場所もなく立ちっ放し。体中どろどろで土の付いていないのは眼だけで、顔をなでると泥が手に一杯取れるほど、正に泥の兵隊であった》

 南京への道が、日本軍将兵を悩ませた様子が浮かび上がる。攻略戦に参加した別の元兵士によると、上海から南京への道は主に田園地帯で、悪路を進軍したという。

南京城…「随分馬鹿げたものを作った」

 さらに南京では厳しい戦いを迫られた。戦後に書いたと思われる源次郎さんの手記は、戦闘の激しさを物語る。

 《南京南方六里(約24キロ)の秣陵関に到着した。南京城は火災を起こして紅く夜空を染め、砲声も聞こえる。秣陵関を出発すると、野戦病院が仮設されており、多くの将兵が収容されていた。第三大隊だけで三百名が戦死傷した》

 源次郎さんらは南京城の南側にある雨花門から迫る。《西山隊も早く第一線に行け、南京もまもなく落ちるだろうと言われ、猛進を続け、吾々のいた壕にも敵弾が盛んに飛んでくる。ここからクリークを渡ると、城壁まで三百米(メートル)、城壁の高さは二十米あり、千二百発の砲弾で城壁を崩し、西山隊も十二日夜城壁をよじ登って突入した。残敵掃討をするが、城内は火災と銃声で声も聞こえない。夜中になって銃声も止み、民家で休憩する》

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