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【神武・海道東征 第3部】御船出(5)謎の1年…稲作で豪族が恭順

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【神武・海道東征 第3部】
御船出(5)謎の1年…稲作で豪族が恭順

何重にも並んで立つ岡田宮の石鳥居。長い歴史を感じさせる=北九州市八幡西区(恵守乾撮影)

 〈其地(そこ)より遷移(うつ)りて、竺紫(つくし)の岡田宮に一年(ひととせ)坐(いま)す〉

 其地とは豊国の宇沙のこと。古事記は、カムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)が豊国(大分)を出た後、筑紫(福岡)に入って岡田宮で1年間、滞在した、と記している。

 古事記が記す岡田宮は、古代の崗地方(遠賀郡)を治めていた熊族が祖先神を祭っていた社である。現在の住所地にすれば北九州市八幡西区。当時の社は現在より広大で、イハレビコの御宮居跡は住宅地になっているが、元宮の一宮神社にはイハレビコが祭祀(さいし)を行った祭場跡「磐境(いわさか)」が残っている。

 「熊族の地で、イハレビコが祭祀を行っていたことに意味がある」と、同宮の波多野直之宮司は言う。遠賀地方を支配する豪族が、イハレビコに従ったことを象徴するからである。

 「熊族の『熊』は、古事記によく出てくる『わに』のような言葉で、海の豪族という意味合い。彼らは、船団を率いてイハレビコを迎えたとも伝わりますから、早くから恭順したということでしょう」

 速吸之門(はやすひなと)を過ぎて宇沙に着いたイハレビコの目前には、東に瀬戸内海が広がっていた。にもかかわらず、西に向かって岡田宮に1年も滞在したことは、東征の謎の一つである。

 「ここは北部九州の要衝で、隣接して宗像族もいましたから、無視して通過することはできなかったのだと思います」

 同宮には後世、新羅に遠征する神功(じんぐう)皇后が立ち寄り、祭事を行った。鎌倉時代には、有力御家人の宇都宮重業が源頼朝からこの地を与えられ、江戸時代に黒田長政が筑前に入国するといち早く、長崎海道の起点になる黒崎宿を整備した。それだけの要衝だから、押さえておかなければ安心して東征できない、という波多野氏の指摘である。

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