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【九転十起の女(1)】100年を経てよみがえる女傑…朝ドラのモデルは豪商、日本女子大創立にも尽力

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【九転十起の女(1)】
100年を経てよみがえる女傑…朝ドラのモデルは豪商、日本女子大創立にも尽力

洋装を好んだ広岡浅子。晩年の堂々たる姿(大同生命保険提供)

 幕末から明治、大正と激動の時代を生きた大阪の実業家、広岡浅子は大正8(1919)年1月14日、腎臓炎のため東京・麻布材木町(現六本木6丁目)の別邸で亡くなった。満69歳。

 1日おいた16日、新聞各紙に「広岡浅子刀自逝く」として訃報(ふほう)が載っている。

 

 「大阪加島屋の女主人廣岡浅子刀自は昨年春以来健康を害ひ兎角病状に親しみ勝ちで旧臘(昨年12月)十九日から宿痾の腎臓炎でドッと床に就き麻布材木町の家にて療養しつつあったが十四日午後八時病俄に革(あらた)まって白玉楼中の人となった享年七十一昨朝大阪から男恵三氏上京して喪を発した程でまだ葬儀の日取は明らかでない」(東京朝日新聞)

 

 恵三氏とは浅子の娘婿。記事には「男勝りの女性」「女性教育に貢献」と見出しをつけ、夫を助けて加島屋を隆盛に導き、日本初の女子大学「日本女子大学」建設に尽力したという解説もついている。

 他紙にも「男優りの女傑」「女傑伝中の第一人者」という見出しが躍っている。葬儀は21日に東京・神田青年会館で、23日に大阪市西区土佐堀青年会館で行われた。

 各紙が浅子の功績として取り上げた日本女子大学では、同年6月28日に大規模な追悼会が行われた。同大の同窓会機関紙「家庭週報」(第524号)に当日の詳報が載っている。浅子とともに評議員をつとめた大隈重信が追悼を述べた。「天性偉大な廣岡夫人」と題する長文で、「男子も及ばぬ多大な力を発揮した。その精神と人格は永久に生きていくことを信じる」としている。

 しかし、浅子が逝って約100年。その存在は忘れられ、地元・大阪でも知る人はほとんどいない。

 そんな浅子がこの秋よみがえる。9月28日スタートの次回NHKの連続テレビ小説「あさが来た」のヒロインとなって。好調が続く朝ドラのヒロインとなれば、広く注目されるのは必至だろう。

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