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【神武・海道東征 第2部】大和思慕(1)地名が語り継ぐ「皇居」の存在

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【神武・海道東征 第2部】
大和思慕(1)地名が語り継ぐ「皇居」の存在

イハレビコの皇居跡とされる皇宮神社=宮崎市(恵守乾撮影)

 カムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)を祭る宮崎神宮(宮崎市)から西北に約600メートル。小高い丘にある同神宮の摂社、皇宮神社はイハレビコの皇居跡とされる神社である。地元では「皇宮屋(こぐや)」と呼ばれ、イハレビコは15歳で太子(ひつぎのみこ)、つまり皇太子になると、この地に移り、45歳で東征を始めるまで、ここに住んだと伝わる。

 「皇軍発祥の地」の石碑が立つ境内からは、天候がよければ天孫降臨の地、高千穂峰を望め、丘の下には大淀川が縫う市街地が広がる。大淀川は宮崎平野を潤す大河。同神社の由緒はこう書く。

 〈実に皇居跡に相応(ふさわ)しい聖地〉

 また、同神宮の黒岩昭彦・権宮司はこう話す。

 「付近には古墳も多く、古代から集落ができていたことがわかります。稲作に適した土地で、大農園をつくれたことが、ここに皇居を構えられた理由でしょう」

 古事記の記述によると、皇宮屋でイハレビコは30年間、政(まつりごと)を行った。その内容を伝えるものは残っていないが、皇居があったことを端的に示すのは「宮崎」という地名である。

 「宮の崎とは、宮殿の前とか宮の前とかを示す名前で、平安時代の古文書には『宮崎の郡(こおり)』という表現が頻繁に出てくる。古代にはすでに、重要拠点としての認識があった土地だったことは間違いありません」

 宮崎県立看護大の大館真晴・准教授はそう話す。大館氏はさらに、地名起源の視点からイハレビコの存在感の大きさを指摘する。

当時の九州の知識層、神武天皇の権威を認識

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