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【戦争の記憶】(4)呉空襲 「もうだめだ」…焼夷弾の雨 3回にわたった7月の空襲「日本人の戦争継続意欲そぐため」

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【戦争の記憶】
(4)呉空襲 「もうだめだ」…焼夷弾の雨 3回にわたった7月の空襲「日本人の戦争継続意欲そぐため」

かつての呉海軍工廠を見下ろす高台で空襲について語る朝倉邦夫さん。造船会社のドックで整備中の護衛艦が見える=広島県呉市

 昭和20年7月1日深夜、広島県呉市の中心部からやや離れた山の傾斜地に住んでいた斉藤久仁子さん(82)は、寝ずにラジオを聞いていた父親に起こされた。

 空襲警報はまだ発令されていなかったが、飛行機の爆音が聞こえた。この年の3月以降、港の軍需工場や戦艦などが米軍機による度重なる空襲にさらされていただけに、斉藤さんはすぐに避難準備を始めた。

 その最中、1発の焼夷弾(しょういだん)が自分に向かって落ちて来るのを見た。「もうだめだ」。観念してしゃがみ込み、しばらくして顔を上げると、その焼夷弾は10メートルほど離れた畑に突き刺さり、炎を噴き出していた。

 軍港のあった呉は計6回の大規模空襲に遭っているが、7月1日深夜から2日未明にかけての空襲は最大の人的被害をもたらした。襲来した爆撃機B29154機が市街地に焼夷弾を投下。死者・行方不明者1815人、負傷者455人に上り、全壊住宅2万1千戸以上、全壊工場80棟、その他の建物も70棟が全壊し、被災者は12万人前後に上った。

 呉は市街地に山が迫る地形になっている。このため、横穴式の防空壕(ぼうくうごう)が数多く掘られていた。多くの市民が防空壕に逃げ込んだが、周囲のすさまじい火災による熱や流れ込んでくる煙によって、多くが壕の中で死亡した。「蒸し焼きにされた」と表現する人もいる。特に市中心部の和庄地区では、500人以上が亡くなったとされる。

 斉藤さんの通っていた県立呉第一高等女学校の同級生も防空壕の中で犠牲になった。同じ防空壕に避難した別の同級生も意識を失い、空襲の後にかろうじて救い出された。

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