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【出雲学談義(4)】「出雲神話=虚構」は崩れ去った…空白地帯の山陰で青銅器が次々発見

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【出雲学談義(4)】
「出雲神話=虚構」は崩れ去った…空白地帯の山陰で青銅器が次々発見

古代史を書き換える発見として注目を浴びた荒神谷遺跡(島根県出雲市提供)

 昭和59年夏のことであった。出雲市斐川町神庭(かんば)の谷奥の道路建設予定地から、358本という驚愕的な数の銅剣が発見された。そもそも出雲は青銅器文化の空白地帯とされ、ほとんど出土例はなかった。全国から出土した銅剣は約300本とされていたから、空白地帯のただ1カ所から出た数量は圧倒的であった。この遺跡は、付近に荒神が祀ってあったことから荒神谷(こうじんだに)遺跡と名づけられた。全国の熱いまなざしが荒神谷に注がれた。

 誰が、何のために埋めたのか。何故、整然と並べて埋めてあるのか。そして、最大の謎は、何故、神庭の谷の最奥部に埋められていたのか。

 翌60年の夏、再び荒神谷は熱気にわいた。前年出土した大量の銅剣のわずか右7メートルの地点から、今度は銅矛16本、銅鐸6個が発見されたのである。今回も数々の驚きがあったが、なんといっても最大の驚きは、銅矛・銅剣という武器型祭器と銅鐸という鳴り物祭器が同じ場所に埋納されていたということであった。

 荒神谷遺跡はいくつかの定説を覆すとともに、多くの謎を提示した。その謎はほとんど解明されないまま30年が過ぎた。ただ一つ言えることは、荒神谷を中心とする西出雲に、弥生中期頃、大きな政治勢力が存在していたのではないかということである。

 荒神谷発見から12年後、平成8年秋のこと、荒神谷から東南東3・3キロ、雲南市加茂町岩倉の道路建設現場で、ショベルカーに掬(すく)いとられるかたちで、銅鐸39個が発見された。今まで最大の出土量を誇っていた滋賀県野洲市の大岩山遺跡の24個を上回る驚くべき数量だった。荒神谷の380個、岩倉の39個はそれぞれ一括国宝に指定された。

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