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【神武・海道東征】
イハレビコ誕生(5)建国の大業祈り 身を引いた妻
吾平津神社に建つアヒラツヒメの像=宮崎県日南市
カムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)の幼少期や青年期を全く書かない古事記が唯一、東征前のことで触れているのは結婚のことである。
〈日向(ひむか)に坐(いま)しし時に、阿多(あた)の小椅(をばしの)君(きみ)が妹(いも)、名は阿比良比売(あひらひめ)に娶(あ)ひて、生みたまへる子、多芸志美美命(たぎしみみのみこと)、次に岐須美美命(きすみみのみこと)、二柱(ふたはしら)坐(いま)す〉
日本書紀はこう書く。
〈長(ひととな)りて日向国(ひむかのくに)の吾田邑(あたのむら)の吾平津媛(あひらつひめ)を娶(めと)りて妃(みめ)とし、手研耳尊(たぎしみみのみこと)を生みたまふ〉
子供の数が違うが、妻がアタ出身のアヒラ(ツ)ヒメであることに、記紀の記述に違いはない。書紀は日向国と書いているが、薩摩半島にはかつて阿多郡という地があり、アタはそこと考える説が有力である。
アタは天孫ニニギノミコト、つまりイハレビコの曽祖父が、よい国を求めてたどり着いた場所としても登場する。書紀はその場所を〈吾田の長屋の笠狭碕(かささのみさき)〉と書く。そこで出会い、結婚したのがコノハナノサクヤヒメ。イハレビコは曽祖父と同じ地のヒメを娶(めと)ったことが、記紀からわかる。
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「アタがあった薩摩半島西部は、貝輪(かいわ)交易の拠点という特別な役割がありました」
そう話すのは鹿児島国際大の中園聡教授である。貝輪とは、ゴボウラやイモガイといった沖縄周辺産の大型の貝からつくる腕輪で、弥生時代の権威を象徴する。同半島西岸の高橋貝塚(鹿児島県南さつま市)で盛んに製造されたことが発掘調査でわかっている。



