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【神武・海道東征】
イハレビコ誕生(4)愛馬伝承が語る古人の息吹
イハレビコが馬上、東に向かった「馬登」に建つ石碑=宮崎県高原町
やがてイハレビコは、この地も去って北上する。同神社から約4キロ北には、その際に龍石を放った場所、立石がある。
「立石には江戸時代、飫肥(おび)藩の牧場があり、九州各地から飫肥の馬を求めてやって来たといいますから、いい馬を育てていたのでしょう。それだけ、この地での飼育の歴史があったのでしょう」
日南市教委の岡本武憲文化財担当監はそう話す。
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「大陸から日本列島に馬が伝わったのは4世紀の終わりごろ。日向で馬が飼われたのは5世紀ぐらいと推測されます」
そう語り、イハレビコは馬に乗ることがなかったと指摘するのは宮崎産業経営大の柴田博子教授である。5世紀は古墳時代中期。16代の仁徳天皇らが活躍した時代だ。
ではなぜ、日向にイハレビコと馬を結びつける伝承が多いのか。柴田教授は大和政権時代、馬を献上する「牧」が数多く存在し、江戸時代も各藩が競って馬を飼育した歴史を理由に挙げる。
「南九州は放牧地に適した地が多く、馬が身近な存在でした。また、馬は権威の象徴ですから、後世の人間が神武天皇と結びつけ、語り継いだのでしょう」

