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【神武・海道東征】
イハレビコ誕生(4)愛馬伝承が語る古人の息吹
イハレビコが馬上、東に向かった「馬登」に建つ石碑=宮崎県高原町
〈狭野尊(さののみこと)、宮崎ヘ向ハセラル時、土民ノ奉献セシ馬ニ召サセ給ヒシ地ナリ…〉
宮崎自動車道高原(たかはる)ICに近い宮崎県高原町の「馬登(まのぼり)」。この地にはカムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)が長じて東に向かった際、住民たちに見送られた伝承が残っている。その時、イハレビコは馬上だった。今も残る石碑の文言は、この経緯を語るものである。
馬登から少し東の「鳥井原(ばる)」は、住民たちが去りゆくイハレビコを見送った場所とされる。
〈最後の別れを惜しむ住民たちが、ミコトの行路の安全を祈りながら見送ったところ〉
同県の観光パンフレット『ひむか神話街道』にそう書かれている。2カ所は、住民に慕われるほど成長したイハレビコの姿を想像させる土地である。
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イハレビコの父、ウガヤフキアエズノミコトの生誕地とされる鵜戸神宮(同県日南市)から南へ約10キロ。駒宮神社はイハレビコを主祭神とし、同県の結婚風習「日向シャンシャン馬」の発祥地とされる。この伝承にも、イハレビコと愛馬の物語が語られている。
〈駒宮アリ、神武天皇ガ舟釣リヲサレシ折、龍神カラ賜ッタ龍石トイフ龍馬ヲ祀ル〉(日向国神祇史料)
イハレビコは龍石にまたがり、父の元に通った。同神社の近くには、龍石をつないだ松の跡や、龍石の足跡が残る駒形石が現存している。同神社は、イハレビコがアヒラツヒメを妻に迎えて住んだ宮跡とされる。伝承の数々は、イハレビコが妻帯独立後も父に孝養を尽くしたことをうかがわせるものなのだ。

