記事詳細
【神武・海道東征】
イワレビコ誕生(3)幼い心に映る「水穂」の原風景
皇子原公園に建つ、イハレビコをモチーフにした像。活発な幼少期を想像させる=宮崎県高原町
〈年(みとし)十五にして、立ちて太子(ひつぎのみこ)と為(な)りたまふ〉
生まれながらにして明達(さか)しく、意かたく…とカムヤマトイワレビコノミコトの資質を書く日本書紀はすぐに、15歳以後の様子に筆を移す。古事記はいきなり、イハレビコが兄たちと東征の謀(はかりごと)を行うくだりを記す。つまり記紀は、イハレビコの幼少時に全く触れていないのだ。
〈狭野(さの)一帯の山野を駆けめぐって遊ばれたと伝えられる〉
イハレビコ生誕地の有力候補、宮崎県高原町の皇子原(おうじばる)神社の前のある石碑「神話史跡」にはそう記されている。イハレビコの幼名、狭野尊(さののみこと)の由来とされる狭野神社の伝承では、イハレビコは15歳まで、高千穂峰東麓のこの地で過ごした。霧島火山帯最大の火口湖「御池(みいけ)」にもイハレビコゆかりの「皇子港(みなと)」という伝承地があり、イハレビコが泳いで遊んだと伝えられる。
この地からは高千穂峰が正面に望める。御池は今、130種類の野鳥が生息するバードウオッチングの聖地。同町に残る伝承は、豊かな自然の中で伸び伸びと育ったイハレビコの幼少期を想像させる。
◇
「豊葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいほあき)の水穂国(みずほのくに)は我が御子の知らす国」
古事記では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)がこう言ってオオクニヌシノミコトに国譲りさせ、天孫ニニギノミコトを高千穂峰に天下らせた。ここに語られる国は、永遠に瑞々(みずみず)しい稲穂の実る国という意味の最大の美称である。



