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【新章2015 時代の節目(5)完】橋下さんに尋ねただろう「大阪都になれば住み心地良き都市になるのか」と 名市長・関一没後80年

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【新章2015 時代の節目(5)完】
橋下さんに尋ねただろう「大阪都になれば住み心地良き都市になるのか」と 名市長・関一没後80年

関一が整備した御堂筋。今も大阪の中心軸であり続ける=大阪市中央区(村本聡撮影)

 ちょうど80年前の1月、大阪市民は、病床に伏していた1人の男の身を案じていた。男のもとには輸血の申し出が相次ぎ、生国魂(いくくにたま)神社(大阪市天王寺区)には、回復祈願の人の列ができたとの記録が残る。

スラム街「煙の都」大阪を、東京を超える『大大阪』に変えた名市長

 第7代大阪市長、関一(せき・はじめ)。在任中の昭和10(1935)年1月14日に高熱で倒れると、腸チフスと判明。同月26日夜、自宅で61歳の生涯を閉じた。

 市営地下鉄や御堂筋の整備、大阪城天守閣の復元…。今も残る関の功績は数知れない。在任中、大阪は人口や面積で当時の東京市を上回り、「大大阪(だいおおさか)時代」と呼ばれる繁栄期を迎えた。市民は関の手腕をたたえ、葬儀には8万人が参列したという。

 東京一極集中や大阪の地盤沈下が叫ばれて久しい。大阪は今年、関の没後80年。大阪を愛し、市民から愛された関に、今の大阪はどう映るのだろうか。

経済発展と生活の向上

 《上を向いて煙突の数を数へると同時に下を見て、下層労働者の生活状態を観察せねばならない

 関が大阪の貧困層を描いた本に寄せた序文の一節だ。関の業績に詳しい大阪市立大名誉教授の宮本憲一氏(84)は「関は経済発展だけに走らない、『住み心地良き都市』を目指した」と話す。

 東京高等商業学校(現一橋大)の教官だった関が、市の高級助役として迎えられたのは大正3年。工場が林立する大阪は「煙の都」と呼ばれ、地方から流入した労働者の住環境はスラム街の様相を呈していた。

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