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【阪神大震災20年】
「亡き母のように笑顔を広げたい」 夢を実現した美容師の銘田さん… 遺族代表として追悼行事で言葉

阪神大震災20年となる今月17日、神戸市中央区の東遊園地で行われる同市主催の追悼行事で、震災で母を亡くした同市東灘区の美容師、銘田(めいだ)奈津紀(なつき)さん(26)が遺族代表として言葉を述べることが5日、決まった。母を失った悲しみが長年、癒えなかった銘田さん。美容師の道をあきらめそうになったとき、支えたのは母の髪に触れた温かい思い出だった。この日、会見した銘田さんは「悲しみを乗り越えて、夢をかなえることができた。『今生きている』ことを母に伝えたい」と笑顔で語った。
「私の髪はまっすぐなのに、母は天然パーマ(ちぢれ毛)。私には不思議で、一生懸命ひっぱってもすぐにクルン、となった」
震災当時6歳だった銘田さんは、母のさつきさん=当時(33)=と毎晩のように、風呂上がりに互いの髪を乾かし合っていた。
くせのある、ふんわりとした母の髪を触るのが好きだった。熱心に乾かしてくれる姿を、母はいつも優しい笑顔を浮かべて見つめていた。「私の中では大事な、幸せな時間だった」と振り返る。
当時、東灘区で父母と姉の4人で暮らしていたが、あの日の激震で自宅は全壊。就寝中の母は倒れてきた鏡台の下敷きになって亡くなった。
ふだんは母と寝ていたが、前夜にテレビを夜遅くまでみようとして珍しく母に叱られ、すねて母の隣の部屋で姉と寝ていた。「ママ、ママ」。激しい揺れが収まった後、がれきの中で、必死で呼んだが返事はなかった。