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【ダイエーホークス創世記(5)】球団オーナーごとき…若き総帥の決断、「再び」「初の」日本一

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【ダイエーホークス創世記(5)】
球団オーナーごとき…若き総帥の決断、「再び」「初の」日本一

日本ハムファイターズを破り、新生11年目、博多っ子の目前でリーグ初優勝を決めた福岡ダイエーホークス。王貞治監督が胴上げされ、V直前に急逝の“恩人”根本陸夫球団社長の遺影も微笑んでいた=平成11(1999)年9月25日、福岡ドーム

 「まさか、他の監督と同じように成績不振だからとといって、世界の王さんをダイエーがクビにするつもりですか? 失礼な言い方だけど、球界の中では今のダイエーなんて“ごとき”球団なんですよ。王さんを招くのはすばらしいこと。それには球団としてではなく、ダイエーグループとしての覚悟が必要だとボクは思います」

 年齢が近いとはいえ、球団のトップになんと無礼な物言いだろう。だが、正代行は最後まで静かに聞いていた。

 振り返ればあの時の決断がホークスの新たな栄光の始まりとなった。根本監督は2年間で後に「12球団NO1」と言われるダイエー編成組織とチームの土台を作り上げた。

かくてホークスの新たな栄光の歴史が始まった

 1993(平成5)年オフのドラフトで小久保裕紀を指名。古巣西武とのトレードで秋山幸二、渡辺智男を獲得。FAで阪神から松永浩美を加えた。翌94年オフにはFAでまたも西武から石毛宏典、工藤公康を獲得。ドラフトでは駒大進学の決まっていた城島健司を1位指名。そして王貞治を監督に迎え入れた。

 だが、前述の「生卵騒動」が象徴するように王ダイエーはなかなか勝てなかった。原因は戦力の問題ではなく“世界の王”監督を前に選手たちが気後れしてしまうという心の問題-といわれた。

 そして王体制5年目の1999(平成11)年1月、地元福岡の筥崎宮へ必勝祈願に出かけたときのこと。神事が終わったあと突然、根本が選手たちにこんな言葉を投げかけた。

 「お前たちは何を構えているんだ。世界の王と言わる監督も昔はラーメン店の息子。お前たちとなんら変わりはないんだぞ」

 これが“神の声”になった。心のおもりが取れたホークスの戦いぶりは一変。78勝54敗3分け。ダイエーとなって11年目にしてついにリーグ優勝。さらに星野中日を4勝1敗で破り一気に「日本一」まで駆け上がったのである。

その悲願の直前に急逝した救世主…そして予定通り、夢も大リーグへ羽ばたいた

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