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【孫が見たマッサン夫妻(3)】「私の空気が入っている」と厳しくもかわいがってくれた祖母 アマナ事業開発室室長 竹鶴孝太郎さん

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【孫が見たマッサン夫妻(3)】
「私の空気が入っている」と厳しくもかわいがってくれた祖母 アマナ事業開発室室長 竹鶴孝太郎さん

孝太郎さん(右)ら孫をかわいがっても、甘やかしはしなかったリタさん(中央)=竹鶴孝太郎さん提供

 竹鶴 私が15歳まで育った北海道余市町の家では、祖母は完全にプライバシーを守れる空間は、トイレなどを除けば、それぞれの部屋だけと考えていました。なので部屋から出るときは化粧をして、ドレスを着てアクセサリーもつけていました。私は祖母のだらしない格好を見たことがありません。母は、「おばあちゃんといると、化粧もして出ないといけないし、大変なのよ」と言っていましたが。

 --目の色に合わせ、グリーンを好んでいたと聞きます

 竹鶴 祖母は目が緑色だったため、淡いグリーンを好んでいました。ほっそりとして背の高い彼女が、薄いグリーンのドレスをまとっている姿を思い出します。「外国人は自分のおしゃれの中に自分の色というものを持っている」という話は家族の中でも出ていましたよ。でも結局は「(髪も目も黒い)日本人には関係ないよね」という結論にはなったんですが。

 --物を大切にしていたそうですね

 竹鶴 英国には古い物を大切に長く使うという文化があります。今のように物があふれているわけでもありませんでしたし、簡単に物を捨てるということはしませんでした。私は母から、祖母が着なくなった服を「流行は巡るから取っておけばまた着られます」と言って、大切にしていると聞き、服への愛着を感じました。

 --おばあさんは昭和36年に亡くなりました

 竹鶴 祖母が64歳、私は8歳のころです。私は当然悲しいことは悲しいんだけど、正直なところをいうと、人間の死というものがピンときませんでした。ただ、祖父が家中で、「おばあちゃんが死んじゃった」と泣きわめいていたのに驚きました。大人がそんなに取り乱すというのは、初めて見ましたね。   =続く

      ◇

 【プロフィル】竹鶴孝太郎(たけつる・こうたろう) 昭和28年、北海道余市町で竹鶴政孝さん、妻リタさんの初孫として生まれた。青山学院大学経営学部を卒業後、ニッカウヰスキーに入社。約20年の勤務を経て個人で会社を立ち上げ、平成17年にアマナに合流した。父は夫妻の養子の威氏で、政孝さんのおいにあたり、ニッカの社長を務めた。

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