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【大阪に帰ってきた鴈治郎(4)】江戸歌舞伎との差は「人間くささ」

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【大阪に帰ってきた鴈治郎(4)】
江戸歌舞伎との差は「人間くささ」

「関西での帰るところがほしいなあと思ったのも、大阪に家を持ったきっかけ」と話す中村翫雀さん=大阪市中央区の松竹座(南雲都撮影)

歌舞伎俳優、中村翫雀改め、四代目中村鴈治郎さん

 --歌舞伎のスタートが他の御曹司より遅かった翫雀さんが、上方歌舞伎を意識したきっかけは何だったのですか

 翫雀 20代の頃は正直、与えられた役をやるだけで精いっぱいでした。29歳で結婚して子供(中村壱太郎(かずたろろう))ができたとき、上方歌舞伎を継承していかねばならないという意識がしっかり芽生えたように思います。また、その少し前ぐらいに、上方歌舞伎再興のための「関西で歌舞伎を育てる会」(現『関西・歌舞伎を愛する会』)が結成され、道頓堀の中座で毎年夏の歌舞伎公演が定着してきました。そういう機運も大きかったですね。

 --そんななかで、お父さまの坂田藤十郎さんは、どういうふうに教えてくださったのですか

 翫雀 それがすごいところで、父は手取り足取りという教え方は一切しませんでしたね。上方歌舞伎自体、型というより気持ちで作っていく性質の芸ではあるのですが、父は「まず、自分で考えてやってみなさい」という教え方です。特に「河庄(かわしょう)」の治兵衛(じへえ)をはじめ上方和事(わごと)の二枚目の役どころは、一応決まりはあることはあるのですが、うちの家はあってないようなもの。じゃあ、いったい成駒屋(なりこまや)の芸って何だろうと当時、随分考えましたよ。

 --平成7年1月、道頓堀の中座で、中村智太郎から五代目中村翫雀を襲名されました。披露演目が「封印切(ふういんきり)」の忠兵衛。遊女の梅川と恋仲になり、ライバルの八右衛門にあおられるうち、切れば死罪という公金の封印を切ってしまうという役どころ。上方和事の代表的な二枚目ですね

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