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【復活・信楽高原鉄道(上)】赤字・大事故・豪雨被害、それでも立ち上がった“幸運な鉄道”…住民らが支えた苦難の80年

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【復活・信楽高原鉄道(上)】
赤字・大事故・豪雨被害、それでも立ち上がった“幸運な鉄道”…住民らが支えた苦難の80年

 昨秋の台風被害で全面運休が続いていた滋賀県甲賀市の「信楽高原鉄道」が11月29日、1年2カ月ぶりに運行を再開した。地域の“足”として慕われた同鉄道だが、平成3年には乗客ら40人以上が犠牲になる大事故を起こし、それ以前にも何度か廃線の危機に見舞われるなど苦難の歴史たどった。そんな鉄道の歩みや運行再開にかける地元の思い、将来などを復旧を機に改めて探った。(小川勝也、和野康宏)

 へこんだヘッドマークにひしゃげた列車の部品、廃線反対を訴えて横断幕を掲げる人々の写真、枕木を運ぶ男たちの絵-。

 甲賀市の特産品・信楽焼の土産物に交じり、鉄道の歴史を物静かに語る品々が並ぶ、信楽高原鉄道・信楽駅。運行再開が迫ったある日、試験運行車両の出発に合わせ、職員らが慌ただしく行き交っていた。

 復旧するまでの間、「廃線」の可能性も示唆されたが、振り返ればこの鉄道は、常に廃線の危機と隣り合わせだった。

大戦中にレール、枕木を供出

 甲賀市の貴生川-信楽を結ぶ第三セクター鉄道・信楽高原鉄道。その前身の国鉄信楽線は昭和8年に誕生したが、第2次大戦中の18年に最初の受難があった。物資不足のため、政府が資材の供出を命じた「不要不急線」の一つに挙げられたのだ。レールや枕木などが運び出され、信楽線は廃線状態となった。

 しかし、この地はすでに信楽焼の産地として知られ、鉄道は全国発送に欠かせないインフラだった。このため、戦後になり住民が立ち上がった。早期の復旧を目指し、自分たちで枕木を用意しようと周辺の森林から木材を切り出した。

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