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【江戸っ子記者のなにわ放浪記】
女帝・推古天皇の最古「官道」を「広域女性活力推進特区」にしよう
難波宮跡公園近くにある竹内街道・横大路の概略図=大阪市
【ベテラン記者のデイリーコラム】
1400年前に造られた日本最古の官道を通じて、周辺地域を関係自治体や企業、大学などが共同で活性化させようとするプロジェトが進んでいる。「竹内街道・横大路 1400年活性化プロジェクト」。一昨年からスタートした。
まずは、「竹内街道・横大路」とは何か。あらためて記す。『日本書紀』によれば、初の女性天皇である推古天皇の御代である推古21年(613年)の11月の条に、「難波より京(みやこ)に至る大道(おおじ)を置く」とある。当時、朝鮮半島や大陸との外交・通商の日本のまさに玄関口だった難波津(現・大阪)と都があった大和飛鳥を結ぶ道路が朝廷主導で「官道」として造られた。
現在の大阪城近くの難波宮跡公園付近を出発点として、南に堺までの難波大道から竹内街道へと通じる。大阪府の堺市の大小路から松原市、羽曳野市、太子町へと通じ、府県境を越えて奈良県葛城市へと通じる約26キロメートルの街道だ。さらに、横大路は、葛城市から桜井市周辺まで通じ、そこから飛鳥の都に到達する。
今から1400年前に、大陸やシルクロードを通じてきた文化が、この街道によって伝えられた。大陸へと向かった遣隋使もこの街道を利用した。晩秋に街道を歩いてみたが、往時の情景が浮かんできた。ロマンあふれる街道である。
11月30日に、「竹内街道・横大路プロジェト」についてのシンポジウムが大阪歴史博物館講堂で開かれた。「古代のハイウェイ」と題した基調講演が、『古代道路の謎』などの著書もある文化庁文化財調査官の近江俊秀氏によって行われた。
近江氏によると、古代の官道は物納だった税の運搬などを目的として各地で整備された。古代道路の特徴は(1)都と地方拠点を結ぶ全国的な道路網であり、その路線計画にあたっては、直進性が強く指向されている(2)道路の幅員を視覚的に捉えられるよう、幅員を明示するための施設などを持っている(3)通行の安全性、もしくは安定を計るためさまざまな土木工法を用いるとともに、その補修や維持管理についても力が注がれている。


