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【銀幕裏の声】健さん追悼 中国人の半数が見た「君よ憤怒の河を渉れ」…文革後の圧制下、主演の健さん「正義の象徴」に

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【銀幕裏の声】
健さん追悼 中国人の半数が見た「君よ憤怒の河を渉れ」…文革後の圧制下、主演の健さん「正義の象徴」に

高倉健さんの死去を報じる光明日報などの中国各紙(共同)

 あわてた東映に、「何か次のヒット作を考えろ」と命じられた日下部さんが急きょ企画したのが、後に大ヒットシリーズとなる「仁義なき戦い」だった。

 「本当はもっと高倉さんと一緒に映画を作りたかった」と日下部さんは語るが、専属俳優だった高倉さんは昭和51(1976)年、東映を飛び出す。日下部さんは俳優としての高倉さんの転機を間近で見届けた一人だ。

中国で人気爆発 国境越えたメッセージ

 東映を離れ、フリーとなった高倉さんの一作目「君よ憤怒の河を渉れ」が同年公開された。高倉さんは、権力の罠で窮地に陥りながらも真実を追究する正義感あふれる検事役を好演、新たなヒーロー像で俳優としての新境地を拓(ひら)いた。 

 「健さん」と親しまれ、国民的人気俳優だった高倉さんだが、中国でも国境を越えたスターだった。外国の映画上映の禁止など長らく自由が抑圧されていた中国で1979年、文化大革命後、初めて公開された外国映画がこの「君よ憤怒の河を渉れ」だった。中国全国民の半数が見たともいわれ、高倉さんは、権力と戦う正義の象徴として中国人に受け入れられ、尊敬されてきた。

 高倉さんは平成18年に日本で公開された「単騎、千里を走る。」に主演している。日中合作で日本での撮影は高倉さんの盟友、降旗康男監督、中国での撮影は中国映画界の重鎮、張芸謀(チャン・イーモウ)監督が務めた。

 張監督も若い頃に「君よ憤怒の河を渉れ」を食い入るように見た一人。以来、高倉さんの大ファンを公言してきた。

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