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【銀幕裏の声】
健さん追悼 中国人の半数が見た「君よ憤怒の河を渉れ」…文革後の圧制下、主演の健さん「正義の象徴」に

一週間経ってからその死は明らかになった。日本映画界を代表するスター俳優だが、華やかさを嫌い、頑(かたく)なにプライベートを他人にさらさず生きてきた。11月10日、死去した高倉健さんの“死に様”も、生き様同様に謙虚だった。バラエティー番組などテレビにほとんど出演せず、彼のプライベートを知る人は多くない。撮影現場などでの彼を知る映画人らに取材した逸話から高倉さんの人となりと映画人生を偲(しの)びたい。(戸津井康之)
孤高のスター
邦画全盛期のスター俳優。多いときは年10本以上というハードスケジュールで身体を酷使しながら通算205本の映画に出演、長年にわたり日本映画界を牽引してきたが、83歳で天寿を全うした。
「酒もたばこも一切、口にしなかった。いつも体調管理を考えていた。しかし、控え室にはコーヒーを準備し、一日に20杯は飲んでいたと思いますよ」
東映の元プロデューサー、日下部五朗さんの証言からも、撮影現場の控え室に一人でこもり、プレッシャーに耐えながら役作りに没頭し、コーヒーをすすり飲む-。そんな孤高のスターの背中が目に浮かぶ。
日下部さんが東映に入社した頃、高倉さんは東映の看板俳優として頭角を現す。
後に「網走番外地」「日本侠客伝」「昭和残侠伝」など東映の任侠者の人気シリーズに出演、スター街道を驀進(ばくしん)する。
まだまだ全盛期。新作への出演を当然、東映は期待していた。だが、現場で高倉さんの熱意が衰えていることに日下部さんは気付いたという。
「人一倍正義感が強い高倉さんは暴力団が美化される風潮に嫌気がさしていたようです。もう任侠ものの映画には出演したくないと…」