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【大坂の陣400年】真田幸村(上)「家康の首ただ一つに狙いを定めた」子孫が語る知将の秘めたる決意

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【大坂の陣400年】
真田幸村(上)「家康の首ただ一つに狙いを定めた」子孫が語る知将の秘めたる決意

大坂の陣から400年を記念して開かれた「大坂の陣フォーラムin一心寺」で幸村について語る真田徹さん=10月1日、大阪市天王寺区

 戦国乱世の信州で、列強に囲まれながらもしたたかに領地を守り抜いた真田家の家柄は、戦場で華々しく散る美学に殉じる幸村像とはほど遠いというのだ。

 慶長19(1614)年11月、「難攻不落の名城」といわれた大坂城を包囲したのは徳川家康を大将に諸大名からなる徳川方20万人。対する豊臣秀頼を大将とする豊臣方は浪人諸将ら10万人が城に集結した。

 〝戦国オールスター戦〟といえる大坂の陣の前半戦・冬の陣。入城した幸村は籠城戦に反対し、城外戦を強く主張したといわれる。

 真田丸攻防戦の直前、家康襲撃を企図した際に着用したと伝わる甲冑「南蛮胴総革威(なんばんどうそうがわおどし)」は不要な装飾を排し、実戦に即した機能美を醸し出す。そこに、幸村の秘めたる決意を感じる。

 「将棋と同じ。幸村なら劣勢でも敵の王将さえ討てば勝てると、はじめから家康の首ただ一つに狙いを定めていたのだろう」   =続く

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